今日は2012年3月10日、3月10日と言えば昭和20年(1945年)にいわゆる東京大空襲があり、あれから67年経っているが、あの無差別殺戮の体験をされた方々、そして関係者を失った方々、未来を奪われた方々を思えば忘れてはならない日であるのだが(とはいえ、空襲による無差別殺戮は他都市でもあり、その日にちは3月10日とは限らないのでローカルだという意見もあろう)、それも昨年の東日本大震災が3月11日という隣接日に起こったため、どうにも印象が薄くなってしまった感が強い。67年前と1年前、風化の度合いが異なるのでそもそも比べることなどできはしないが、私的にも東日本大震災、それに続く福島第一原発事故についてのインパクトの方がはるかに高い。そんなわけで、明日でちょうど一年となるわけだが、今回と次回(予定)の2回にわけて、あの時私は何を思っていたのかを当Blog過去記事を見ながら振り返ってみたい。
で、昨年3月のBlog記事を眺めてみれば、11日朝まではVAIO ZやらNintendo 3DSやら洗足会館やら購入した本の感想など、だいたいいつもの調子で記事が続いているが、地震が起こった後の11日夜以降、
「帰宅難民から復帰」(2011年3月11日)
「France F2で報道された東日本大震災」(2011年3月12日)
「情報化社会における公的情報伝達手段を考えてみる」(2011年3月13日)
「関東地方計画停電による通勤混乱とか」(2011年3月14日)
「爆発した福島第一原発三号機はプルサーマル発電」(2011年3月14日)
「森田千葉県知事の売名行為を非難する」(2011年3月15日)
「安全とは何か、リスクとは何か、そもそも天秤で量れるものか」(2011年3月16日)
「復活の麿(登坂アナ)、札幌より一時帰還」(2011年3月17日)
「一斉帰宅指示による大混雑」(2011年3月17日)
「危機管理は専門家に──政治主導、理想だが主導する人がド素人では…」(2011年3月19日)
「一般人の年間被曝限度量から、単純計算では約0.114μSv/hが限度だが…」(2011年3月19日)
「放射線量基準についての確認」(2011年3月20日)
「今夏はバカンス法施行でお願いします」(2011年3月21日)
「都内の環境放射線測定値が急上昇中(21日午前8時過ぎより)」(2011年3月21日)
「都内の環境放射線測定値が0.1μGy/h超で安定中(21日午前10時過ぎより)」(2011年3月22日)
「私的備忘録:体内摂取したときの被曝量」(2011年3月23日)
「いよいよ現実となってきた放射能汚染被害」(2011年3月24日)
「都内の環境放射線測定値(3月15日から10日間)」(2011年3月25日)
「福島第一原発三号機、欧米の注目度」(2011年3月26日)
「今日(26日)の新宿駅東口前の様子」(2011年3月26日)
「「原発がどんなものか知ってほしい」を読んで、今起こっていることを考える」(2011年3月26日)
「東京電力関係社員を救え──長期間放射性物質を垂れ流し続ける危機的状況に際し思うこと」(2011年3月28日)
「福島第一原発、フランスF2の見方(3月28日時点)」(2011年3月29日)
「食品衛生法の放射線規制値、見直しの欺瞞」(2011年3月29日)
「東京電力、条件付き降伏」(2011年3月31日)
──と3月末まで、ほとんどの記事が福島第一原発事故関連で占められるように、私の関心の高さが自分で言うのも何だが(とはいえ、過去の自分は今の自分とは違うわけで)、たいへんに高かったことがうかがえる。
3月11日午後2時46分過ぎ、私は出張先でこの地震に遭遇したが、地震が起こってしばらくの間(1~2時間ほど)は何事もなかったように都市機能は生きていた。場所が場所だったからかもしれないが、すぐに社に戻り、大きな余震も続く中、テレビのニュースを確認すると大津波が発生したなど尋常ではない出来事が東北の太平洋沿岸に起こる様子を呆然と見るなど、もはや仕事どころではなかったことを思い出す。その後、夜になって自宅の様子が心配だったこともあり、帰宅難民化して歩いて帰宅。その後に「帰宅難民から復帰」を書いたのだった。
そして翌日(12日)の朝。海外での報道はどうなのだろうかとインターネットやテレビなどで確認すれば、時差の関係でまさに欧米は報道のピークに達していた。地震と大津波。この被害を中心に事実報道を繰り返していた。中には女川原発の心配をする報道(震源や大津波の距離・方向からすれば、福島よりも女川の方が心配されていた)もあり、原発事故のおそれは地震発生当日から危惧されていた。しかし、ご存じのとおり我が国では「何の心配もない」的なコメントが内閣官房から発せられており、既にこの時点で相当な温度差を感じていた。もっとも、遠くの人ほど現場から離れているので心配しすぎなだけだ…と思う私もあったにはあったのだが。
この懸念が現実となったのは、12日午後3時36分に起こった福島第一原発1号機の水素爆発である。原子炉内の急激な核分裂反応によるものでない(言うまでもないが間接的には核分裂反応に基づく)のは幸いだったが、比較の問題であって重大事故であることに違いはない。予測困難で現実が圧倒的スピードで進行する状況下では、公式発表が遅れてしまうことは仕方のないことであるが、発表のされ方、その内容について明らかにおかしいだろうと感じていた。その思いが「情報化社会における公的情報伝達手段を考えてみる」という記事となったわけだが、正直言って今でも同じことが言えてしまう状況であることに驚きを禁じ得ない。
一方、市民生活においては「計画停電」という戦時統制並みのイヴェントが始まり、初日(14日)の実施は回避されたがそのドタバタぶりをマスコミや千葉県知事などが無能な文句の垂れ流しをして「低レベルなバカの言い合い」状態を続ける中、14日午前11時01分、福島第一原発3号機が水素爆発を起こし、我が国の国民のみならず世界の人々を不安に陥れる事態となった。もちろん、政府と大手マスコミのドタバタは加速された(苦笑)。
連日、様々なイヴェントが続く福島第一原発事故。報道にも疲れの色が見えるようになり、特に報道シフトが一気に進んだNHKにおいてはレギュラークラスのアナウンサーや解説委員に疲れの色が濃く見えてきた。ここにあの登坂アナが帰ってきた、ということで「復活の麿(登坂アナ)、札幌より一時帰還」という記事を書いた。ここで「大変なニュースであるにもかかわらず落ち着いて視聴できる」と記したが、振り返ってみれば淡々と、しかしはっきりとよどみなく伝えるその姿は、このような災害報道にあたっては必須事項であると再認識した。古い話だが、オーソン・ウェルズの火星人襲来というラジオドラマで、あまりにも迫真の演技だったために本当に火星人が来たと思い込んだ人たちがパニックになった話を慮れば、その事実を視聴者に冷静に事実のみを伝えることが最重要だからだ。「避難してください」という防災無線の音声でもこういう姿勢が求められよう。
また、計画停電に加え、実際に電力不足が発生しそうだということで、17日、内閣官房は東京圏内の大企業に対し、一斉帰宅するよう指示を行ったことで、地震当日の帰宅難民騒ぎを再演した。なかなか必要な指示が出せず、指示を出してみれば大失敗、だからますます必要な指示が出せなくなる──という悪循環。あまりのドタバタぶりに「危機管理は専門家に──政治主導、理想だが主導する人がド素人では…」という記事を書いたものの、肝心の専門家までが腐っていたために今となっては菅前首相に同情を禁じ得ないのだが、素人のごっこ集団に任せなければならない我が国の不幸を嘆くことしかできない。外圧(ガイアツ)に弱い我が国なので、いっそのこと戦後のGHQのような超法規的存在が必要だっただろうかとも思ってしまう。
そして19日になり、このような記事「一般人の年間被曝限度量から、単純計算では約0.114μSv/hが限度だが…」を書いた。福島第一原発事故による1号機水素爆発が発生して一週間、いよいよ放射能汚染について気になり始めた時期にあたる(大きなドタバタが落ち着いてきた)からだが、それ以外にも理由があった。それは海外の報道(記憶違いでなければ米ABCかCNN)で、3号機の爆発の際、高レベルの放射線が観測されたということを聞いたためである。これを受けて、どの程度の被曝量が平準値なのかを確認してみようと考えながら、測定値はいかほどだろうと調べ始めたのがこの時期にあたる。この結果、東京都健康安全研究センターが事故の起こる前から定期的に観測結果を公表していることがわかり、確かに1号機並びに3号機爆発の際、放射線量のピークが起こっていることがわかり、明らかに政府発表がおかしいこと(意図的に隠蔽しているのではないか?)に確信が持てた。よって、この測定値を毎日確認することを日課とした。
21日になり、この測定値に大きな変化が表れた。東京地方は雨模様で、これは雨によって放射性沃素(ヨウ素)が地表に降り注いだ結果ではないかと考えたが、公式発表が出るまでは疑念程度にとどめておいた。というのも、「都内の環境放射線測定値が急上昇中(21日午前8時過ぎより)」という記事を書いて以降、当Blogへのアクセス数が普段のアクセス数とは比較にならないほど高くなり(それこそ水素爆発時の放射線量ピーク値のように)、できる限り冷静に伝えようと意識し始めたからである。
また、放射性沃素が雨となって降り注いだ結果、東京都の金町浄水場での放射線測定値が高くなったとの発表を受け、東京圏では水不足が発生した。水そのものはあっても放射能汚染されているからとミネラルウォーターの買い占めが進み、真に必要とされる乳幼児に届かなくなったためである。このため、地方自治体が災害用として備蓄していたものを拠出するなどして急場をしのいだが、販売店では販売規制が行われるなど、影響は10日以上に及んだ。不幸中の幸いだが、放射性沃素は半減期が短いので長期に影響が及ぶことはなかった。しかし、仮にこれが放射性セシウム並に長い半減期を持つものであったなら…。今となっては想定外と片付けてしまうことなどできはしない。
時間が経つに連れ、我が国での公式発表(及び垂れ流しの大手マスコミ)と海外メディアの報道との乖離は進む一方だった。もとより公式発表に疑念を抱いていた私だが、観測された放射線量との調べの中でそれが確信に変わり、ますます海外メディア報道に注目するようになっていた。中でも、原発大国であるフランスの報道に、より注目していたが「福島第一原発三号機、欧米の注目度」と「福島第一原発、フランスF2の見方(3月28日時点)」の二つの記事に示したように、この時点ではるか遠くからでも原発(原子炉)の状態は容易に推測できていたのである。同時に、水素爆発による大気への拡散シミュレーションや、原子炉冷却水垂れ流しによる海洋汚染シミュレーションも行われるようになり、被害の実態を解明し対策を立てるべきだと訴えていた。今、こうして振り返りながら書いていても、我が国はいったい何をやっていたのだとしか思えない。
公式発表があやしい、疑わしい、というときにはデマがはびこるのはいつの世も同じ。インターネットの普及で世界じゅうにデマは広がるが、一方で適切なものの見方ができるものも多く見つけることができる。要は、その人の判断能力がより大きな比重を占める世の中になったとなるのだが、これについては「「原発がどんなものか知ってほしい」を読んで、今起こっていることを考える」で考えてみた。今読み返しても、まったく同じことが言える。見方とは立場や視点により異なるものだが、自分がどの立ち位置にあるかでそれは変わってくる。だいたい人の言うことなど、そのまま鵜呑みするものではないのだ。自分の中に判断指標を設け、経験によりそれを研ぎ澄まし、自分自身で判断する。子供や未熟な経験しか持たないのであれば踊らされてしまうのもやむを得ないが(だからこそ未成年は保護されている)、そうでなければ自分の判断に責任が伴うものとなる。
放射能汚染が進み、現場から離れた人たちが気にするのは、汚染地で生産される物、具体的には口に入る物つまり農産物や海産物である。「食品衛生法の放射線規制値、見直しの欺瞞」では、ご都合主義が出てくる危険性についてふれたが、やはり今日まで見てくるとご都合主義は蔓延しているという印象しかない。様々な意見があるのは百も承知だが、どう考えても「現実に適用したら安全といえる閾値をあらかじめ設定しておき、それを超えないから安全」といういい加減さが透けて見える。今はどうか知らないが、福島県内の小中学校の登校基準は最初に値ありきとしか端からは見えなかった。つまり、安全かそうでないかで判断したのではなく、現実の観測値があってそれを上回らなければ安全という判断である。要は、登校させることを前提とした基準なのである。そういった我田引水的な設定が他にもないか──?
と長くなったが、昨年3月中に起こったこと(書いたこと)を振り返ってみた。4月以降については、次回の予定。
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