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2012/01/03

コメント

考え過ぎかも知れませんが、山手線の西側の丘陵地帯には有力者が多く住んでいる関係で、無味乾燥な町名を避けたのかもしれませんが、東側でも常磐松や金王という学校名にもなっている歴史的に由緒あるものもありますので残念です。私事で恐縮ですが弟が青山学院の小学部の緑が岡小学校を卒業しましたので特に感慨無量です。
文化破壊もこの辺で打ち止めに願いたいものですね。

もう一つ気が付いたことですが、市電、玉電や幹線道路に沿って江戸時代の切り絵図が示す町奉行が差配する地域が屋敷町と区別されて何々通りとなっていて昔の習慣が残っているのが興味を引きます。

亡くなった父の本籍である東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町大字隠田116番地の現在の住所を探しています。父の戦前戦後の話しを聞いていました。
私の息子と父の生まれ育った地に出向きたいと思っています。
どうか宜しくお願い致します。

枯れたBlogにコメントいただき感謝申し上げます。
近いうちに記事として取り上げる予定でいますが、簡潔にお答えだけ述べておきます。

東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町大字隠田116番地は、東京都渋谷区神宮前六丁目7番8号(ネスト原宿6)あたりです。
渋谷川(今は暗渠)にかつて架かっていた隠田橋近くにあたります。

道玄坂で働く者です。「東京都渋谷区、町名変遷の歴史──昭和時代編」の二番目の地図の道玄坂一丁目と二丁目の南北の位置が逆ではないかと思うのですが。円山、松濤、宇田川と接するのが道玄坂二丁目で、南平台、桜丘と接するのが道玄坂一丁目ではないでしょうか。ご確認よろしくお願いいたします。

10年以上前の記事に訂正コメントいただき、感謝申し上げます。地図の修正については、現在のテクノロジで作成し直すつもりでいるので、修正含め、今暫くお待ちください。

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