今日(26日)、新宿に出かけたことは当Blog記事でも示したとおりだが、この時、大手書店に行った際、原発関係や地震関連の本が平積みされ、それが次々売れて行っていることに対して、みんな不安に思っているんだな~と見ていたが、それら書籍を手にしてみると胡散臭いものもそれなりにあり、却って風評被害に荷担しないことを祈ってみたりもした。だが、しかし。原発関連は「臭いものには蓋」という印象がつきまとっており、実際、原発に従事したことがある人の声がなかなか聞こえてこない中、14年前に逝去された平井憲夫氏の書かれた「原発がどんなものか知ってほしい」を再発見した。再発見としたのは、高速増殖炉もんじゅ関連の技術を研究していた頃、氏の書かれた衝撃的文書を知り、それを思い出したので探してみたのである。探してみたところ、文書はすぐに見つかった。それが「原発がどんなものか知ってほしい」である。
本文は2万文字を超えるほどの長文であり、そのすべてをご紹介したいところであるが、中でも現在進行中の福島原発事故にかかわる重要と思われるところを部分引用しながら、私見を述べていきたい。なお、注記しておくが、平井氏の文書をすべて正しいものだと受け取らないでいただきたい。机上の理屈を宣うだけの学者風情とたたき上げの現場監督の話がかみ合わないのは、原発だけに限った話ではなく、どこにでも転がっているものであって、経験ある方であれば言わずもがなであろう(平井氏は学者でなく現場監督的位置づけ)。
阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。
こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。
その事実にどのような意味を持つのか。本質は何か。東京電力や我が国の政府の発表では、ほとんどこれが見えてこない。NHKのニュースなどで本当に部分的に説明されることはあるが、元締めが示していない(配慮でも隠蔽でもどちらでも結果は同じ)ので限界がある。平井さんがご存命であれば、福島原発の事故をどう見て、どう思われただろうか。ほとんど話題にも上らなかったこれらの原発事故。自民党政権時代に形作られた隠蔽体質は、そのまま現在も継承されていただろうから、事故が起こってからの体たらくも頷けよう。
東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。なぜ、専門官が何も知らなかったのか。それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。だから何も知らなかったのです。
これもその通りだ。15年以上も前でこうなのだから、今回の原発事故で東京電力が政府・官僚を相手にしなかったのも自明だろう。ましてや政治主導と宣う民主党政権なのだから、入ってこられてかき回されたくないというのが現場の本音と言っていいかもしれない。こういう建て前と本音と言おうか、名ばかりと言うべきか、そういうものを許容できる世界がないわけではない。しかし、一歩間違えばとんでもないことになる原発でこれはまずいだろう。感覚が麻痺してしまった結果が、今につながってしまっている。
皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。
そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。
チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。
この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。これが効かなかったらお終りです。だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。
原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。
福島原発事故が起こっていなかったら、平井さんのこの文書をそこまで大げさに書かなくても…くらいにしかとらえていなかったのは事実である。しかし、起こった後、この文書を読めば平井さんの思いは伝わってくる。事実に対して、それがどういう重さの問題であって、どのような結果をもたらす(本質は何かを示す)のか。今の事故説明もまったくはっきりしない断片的な事実のみしか伝えず、それがどのような影響を及ぼすかも「一年間続いた場合の数値で問題ない」とか、「数値を注視してほしい」とかでしかない。
具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えないままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、十年で廃炉、解体する予定でいました。しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。
この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体についてどうするか、毎日のように、ああでもない、こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても大量の被曝が避けられないことなど、どうしようもないことが分かったのです。原子炉のすぐ下の方では、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。
机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにならないと、何にもできないのです。放射能がある限り廃炉、解体は不可能なのです。人間にできなければロボットでという人もいます。でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使えないのです。
結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。今でもその原発は動いています。
最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、もう三〇年近く動いています。そんな原発が十一もある。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。
これは15年以上前に書かれた文書である。これは15年以上前に書かれた文書である。これは15年以上前に書かれた文書である。これは15年以上前に書かれた文書である。これは15年以上前に書かれた文書である。誤解…いや五回唱えても、とてもそうは思えないほど、福島原発の現状を示唆している。一説によれば、原発反対者の運動で最新の機器(原子炉)に交換できなかったという話が聞こえてくるが、本当にそう主張される方は自分自身で廃炉作業を行えるのだろうか。実際に作業を行う人がいる。太平洋戦争末期のカミカゼよろしく、誰かに突撃させるつもりなのだろうか。
世界中が諦めたのに、日本だけはまだこんなもので電気を作ろうとしているんです。普通の原発で、ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料)を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしています。しかし、これは非常に危険です。分かりやすくいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすようなことなんです。原発の元々の設計がプルトニウムを燃すようになっていません。プルトニウムは核分裂の力がウランとはケタ違いに大きいんです。だから原爆の材料にしているわけですから。
いくら資源がない国だからといっても、あまりに酷すぎるんじゃないでしょうか。早く原発を止めて、プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。
ここだけは私も平井さんがこれを書かれた当時から危険性を理解していたつもりである(程度の差はものすごくあったろうが)。福島第一原発3号機はプルサーマルである。無論、3号機以外は危なくないなどと言うつもりは毛頭ないが、事故が起こったらかなりやばいぞというのに爆発まで起こったのだから、ここに刮目するのは当然で、適切な情報開示を求めたい。が、しかし。肝心の原発作業員にまで情報隠蔽されているのだから、これを望むのは無理となるだろう。
さて、長文引用してしまったので、バランスを取るために本件に関してもう少し私見を述べておこう。
まずは、30km圏とか80km圏とか、同心円モデルによって屋内退避などの指標にしている点について。例えば、福島県飯舘村は30km圏から多くを外れているが、放射線量の数値が異常に高い。これは原発から放出される放射線というレベルで見れば同心円的理解でいいが、原発から放出される放射性物質というレベルになれば、同心円モデルで説明できなくなる。要は、放射性物質が塵などにくっついて飛散していくので、大きなファクタとして風や雨が影響してくるからである。なので、離れた地域であっても原発の風下にあり、たまたま湿った空気とバッティングして放射性物質を含んだ塵が雨となって降った場合、同心円的な広がりではなく、風向きや降雨状況によるまだら模様の汚染となる。事実、チェルノブイリ原発事故での放射線レベルは30km圏などはるかに超えた100km圏に及ぶ範囲で、人の立ち入りが禁止されるほどの高い放射線量を観測したところもある。逆に30km圏内であっても、ほとんど放射線量が観測されない(無論、原発事故が終息した後の話)ところもある。まさに運次第だ。おそらく福島県飯舘村は、時期的に福島第一原発からの風向き等によって放射線量があがりやすい地域なのかもしれない。
そして政府などの発表について。これまでも当blogでふれてきていることの繰り返しとなるが、自ら風評被害を巻き起こすようなプレス発表はやめた方がいい。いくら厳しいとされようが、一応は上限値とか限界値とか設定しているわけだから、これに対して常に「健康に問題のない値である」と連呼するのは、たとえ事実であったとしても避けた方がいい。数値の変化はもとより、原発からの放射能漏れが止められない、そして止められる時期すらはっきりしていない状況では、ずっとこれからも放射線は出続けるわけだから「健康に問題のない値である」と推定できない。「あと3か月で止められるので、基準値の3倍であっても一年間での基準値だから、年間被曝量に4分の1届かない。だから安全である」と言われればああそうかとなるし、「基準値の3倍であり、今後の増減ははっきりしないが、あと半年ほど止めるまでには時間がかかる」と言われれば、年間基準値を超えるのできちんと対策を採らねば、と判断できる。こういうプレス発表を行ってほしいが、もし基準値(限界値)をさらに引き上げるような行為をするのであれば、疑心暗鬼が加速し、誰も政府の発表を信じなくなるだろう。最悪のケースである。もし、基準値を引き上げるのなら(元々余裕があるわけだからある程度の引き上げは私自身問題ないと解してる)、説明は必要十分に行っていただきたい。
危険に対しては正しい行動ができるが、不安に対しては正しい行動ができない。
なかなか難しいことだが、正しい的確な情報を得て、知見を鵜呑みせず自身で判断する。その前提を失わせるのが疑心暗鬼であり、増幅する不安である。必要以上に悲観することも楽観することもなく、落ち着いて考えて行動しよう。そんなことを思いつつ、今回はここまで。
2011年4月9日午後 追記
当記事コメント欄にて「原発がどんなものか知ってほしい」はデマ文書だとご丁寧にご教示下さった方がいらっしゃった(非表示依頼をされているのでコメント欄には載せてありません)ので、私はこの文書をどう位置づけたかを以下に簡単に示しておこう。
まず、本質的に「原発がどんなものか知ってほしい」が正しいかそうでないか、もっといえばデマであるのかというのは意に介していない。確かにデマに踊らされてしまうのはよくはないが、すべてあの文書をデマと決めつける方こそデマであると考える。私はもちろん、優れている方々でさえ、未来永劫に渡って完全無欠な文書など誰も書くことはできない(自然言語における文書はそういうもの)し、受け取る相手によっては書いた本人さえ想定し得なかった解釈をされてしまうことも少なくない。また、いつ書かれたのかを考慮に入れていなければ、それが適切か不適切かとも判断できない。当該文書の経緯については「原発がどんなものか知ってほしい 第2版」(妖精現実 フェアリアル。「このウェブサイトは、都合により、まもなく終了します。」と書かれているのでいつまで存在するか不明)を参照いただきたいが、すべての事実は知りようがない前提ではあるが、間違いなく言えることは本記事最初の方でふれたように「再発見」する前(というか原発事故前)までは、私もこの文書はデマでウソだと思い込んでいた。科学的根拠のないものだ、と。
だが、現実はどうだ。リスク計算をどこまで考慮に入れるかで「想定外」という言い方はできるにしても、実際に起こってしまったことは取り返しがつかない。まさに覆水盆に返らず、である。「原発がどんなものか知ってほしい」に対抗?して書かれた「Re:原発がどんなものか知ってほしい」は、事故が起こるまではもっともらしいように見えたが、起こった後は砂上の楼閣の上での理屈でしかなくなってしまった(著者の理論的支柱が東京電力によれば~なので)。トンデモ文書にしか見えなかった「原発がどんなものか知ってほしい」が、福島第一原発事故の前後で私の中での位置づけがまったく変わってしまったのだ。一字一句の文言の不正確性は、あまり科学的知識を持たない現場監督的な人ではありがちだが(そうでない方ももちろんいらっしゃるが)、事の本質を見誤ることは少ない。よって、もう一度位置づけし直したのが本稿なのである。
私は、単純な二元論を怖れる。デマに振り回されるのはよくないが、何でもかんでも二元論でデマと決めつける方にも問題がある。デマと決めつけるからには、しっかり自身の理屈で糺してほしいものだ。
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