形としては前回の続き、として「その5」と銘打ったが、やや話は遡る。今回の話題は、昭和初期に行われた「旧渋谷町大字名変更」は、どこまで地元の要望等を顧みられたのか、についてである。昭和初期の大異動については「東京都渋谷区、町名変遷の歴史──昭和時代編」に理由について簡単にふれているが、これについてもう少し突っ込んでいこうという話となる。
渋谷町はその人口東京市に接続せる町村中の第一位を占むるのみならず、全国都市101市中19位の八幡市と20位の新潟市との間に位し、諸般の都市的施設これも最も完備し、全国有数の都市に比肩して劣らざるものありといい、独り従来の大字小字の区域は犬牙錯綜し、広狭配置宜しきを失し、大字名において類似の名称あり、小字名においても同一名称のもの、または類似の名称のものあり、かつ地番の如きは全く連絡統一を欠き、容易にその所在方向を知ることを能わず、為に住宅地帯を構成する本町の状態に照らし、行政、通信その他諸般に及ぼす不便洵に少なからざるをもって、速やかにこれが改正を行ない、都市日常生活の福利を図るの緊切なるを認め、理事者は夙にその改正方法に関し、調査研究なりしか、会々大正14年2月13日の町会において、議員中西清一よりこれが改正の急務なる所以を力説して理事者に質問ありしを機とし、理事者は具体的調査に着手せる中、町会議員中西清一外17名より同年6月12日の町会において左記建議案を提示し、可決せられたるをもって、これが改正を断行することに決し、大正15年度より2箇年に亘る継続事業として、同年4月1日より着手し予定より3ヶ月を早め昭和3年1月1日よりこれが実施を見るに至れり。
(現代の仮名遣い及び漢字とした。)
これが渋谷町議会で開陳された大字名変更の趣旨であるが、これより確認できるとおり「字名地番改正」は大正15年度(1926年度)より事業開始したことがわかる。その後、昭和2年度(1927年度)の第4四半期(同年度1月1日に施行)には改正できているので、実質1年9か月の間、「字名地番改正」事業は行われたことになる。そして、この改正作業中のうち、もっとも調整が難しいのは従来の大字・小字を新たな大字として再編成することにあり、その命名については百家争鳴となることが予期された。無論、このことは当事者の旧渋谷町はもちろん、当時の内務省でも命名については規定が設けられていた(いわゆる「明治四十四年三月 内務省訓令第二号 市町村内土地ノ字名変更取扱方 第二項」)。
これに従い、旧渋谷町は大正15年(1926年)5月27日、関係地主1,346人に対し、字名地番改正に関し意見を文書で照会した(締切りは同年6月30日)。これに回答した者は38名で、小字名存置希望者2名、不同意4名を含んでいた。つまり、反対も含めても回答率はたったの2.8パーセント。いくら不在地主が多くても、これだけ回答率が低ければいかがなものかとなると思うのだが、何のことはない、回答がなければ「回答なきをもって同意と認めたる者1,302名」と扱われていたので、これを踏まえれば実に99.5パーセント以上という高率で字名地番改正は同意されたと解釈されたのである。
しかし、同意といいつつも、個別意見には様々なものがあった。意見要旨を以下に列挙すると、
- 上渋谷、中渋谷、下渋谷の三大字を廃止すること。
- 上渋谷、中渋谷、下渋谷の三大字にとどめ他大字を廃止すること。
- 上渋谷、その他大字を全廃し、単に渋谷町とすること。
- 上渋谷、その他の大字を全廃し、上区、中区、下区とすること。
- 大字を廃すること。
- 大字を廃し小字のみにすること。
- 青山の名称を改めること。
- 青山の名称を存すること。
- 宮益の名称を改めること。
- 前耕地の名称を改めること。
- 新地の名称を存すること。
- 向山の名称を存すること。
- 町裏の名称を改めること。
- 大山を大山町あるいは鍋島町何丁目とすること。
- 俗称神山通を富士見通とすること。
- 百軒店所在の地点を百軒店と名称を付すること。
- 渋谷駅前の地点を渋谷駅前の名称を付すること。
- 道玄坂の地点を道玄町あるいは渋谷本町あるいは渋谷坂町の名称を付すること。
- 町田を渋谷川の南部のみとし、北部の僅少地域を他に合併すること。
- 渋谷宮益町一ノ八二中渋谷一ノ三八上渋谷一ノ二三を合し、宮益の名称を付しこれを適当に154ヶ地番に分けること。
- 小字名は冗長のものを避けること。
- 大体現在の小字の区域を大字とし小字名を大字名に当てること。
- 小字名を存置し、他日の町名とすること。
- 小字を廃すること。
- 小字を廃し、丁目を用いること。
- 同一名称を付せざること。
- 名称は可成二字くらいの簡明のものとすること。
- 上渋谷二四ノ二を中渋谷区域に編入すること。
- 字の一字を除くこと。
- 大字は一見明瞭にして類似名を避けること。
- 各町の区域は道路を基準とし連絡ある区域に限り適当に区分すること。
- 道路を挟んで名称が異なることを避けること。
- 区域境界は道路河川のごときものを基とすること。
- 丁目を用いないこと。
- 慣習的称呼の小字名を大字名としその区域を広大とすること。
- 大字小字の二段の分類をせず、単に字とすること。
- 渋谷町は他日東京市に編入されることを予想し、復興局方針に基づき改正すること。
- 千駄ヶ谷町穏田の渋谷町寄り区域を渋谷町に編入すること。
- 宮益坂通より道玄坂通に至る道路をもって南北にわかち、南何丁目北何丁目とすること。
- 下渋谷字伊達跡を渋谷町大字伊達跡とすること。
- 下渋谷字伊勢山六一九番を単に渋谷町下渋谷六一九番とすること。
(以下略)
と、たったの38名の回答者でありながら、以下略としたくなるほど個別要望は多く、しかも意見は自分の都合のいいようなものがほとんど。なので、相互対立する意見(例えば「青山の名称を改めること」と「青山の名称を存すること」など)もあり、収拾が難儀となりそうな印象を受けるが、これは昔も今も変わるものではない。
興味深い意見を拾ってみれば、大字・小字ルールを変えてほしいというものが
- 上渋谷、中渋谷、下渋谷の三大字を廃止すること。
- 上渋谷、その他大字を全廃し、単に渋谷町とすること。
- 上渋谷、その他の大字を全廃し、上区、中区、下区とすること。
- 大字を廃すること。
- 大字を廃し小字のみにすること。
- 大体現在の小字の区域を大字とし小字名を大字名に当てること。
- 小字名を存置し、他日の町名とすること。
- 小字を廃すること。
- 小字を廃し、丁目を用いること。
- 字の一字を除くこと。
- 慣習的称呼の小字名を大字名としその区域を広大とすること。
- 大字小字の二段の分類をせず、単に字とすること。
- 下渋谷字伊達跡を渋谷町大字伊達跡とすること。
- 下渋谷字伊勢山六一九番を単に渋谷町下渋谷六一九番とすること。
と14項目あり、これに加えて
- 渋谷町は他日東京市に編入されることを予想し、復興局方針に基づき改正すること。
と早くも東京市への合併を視野に入れているものが見られることから、町村の大字・小字ルールを市と同様の町丁目ルールの適用、つまり市と同レベルであるべきとの見解が目立つ。それだけ、旧渋谷町の市街地化は進み、この改正が必要に迫られていることの証左と言えるだろう。
また、字名変更も新規の命名や単に変えてほしいというものまで列挙すると、
- 上渋谷、その他の大字を全廃し、上区、中区、下区とすること。
- 青山の名称を改めること。
- 宮益の名称を改めること。
- 前耕地の名称を改めること。
- 町裏の名称を改めること。
- 大山を大山町あるいは鍋島町何丁目とすること。
- 俗称神山通を富士見通とすること。
- 百軒店所在の地点を百軒店と名称を付すること。
- 渋谷駅前の地点を渋谷駅前の名称を付すること。
- 道玄坂の地点を道玄町あるいは渋谷本町あるいは渋谷坂町の名称を付すること。
こちらは10項目でこんな感じになる。このうち、改めることとあるのはすべて実現されているが、○○とすることという名称提案は一つも実現していないというのも面白い。あえていうなら「大山を大山町あるいは鍋島町何丁目とすること」が、辛うじて実現したに近いものとなる(字大山は、概ね大字松濤と大字大山となり、東京市合併の際は大山町、松濤町となったので、一部分かつ後年だが実現した)。他にもなるほどと思うものもあるが、いずれも実現はしなかった。
以上、字名地番改正の際、どれだけ住民の意見を採り入れたのだろうと見てきたが、大正デモクラシーを経た時代(普通選挙法=ただし成年男子のみ──が成立していた時代)でも地主のみを対象とし、かつその意見も多くは採用されることはなく、当時の感触はわからないが後年の見方では「単にガス抜きでやってみました」的な印象を受けてしまう。とはいえ、実際に改正された字名を見れば、町村風のものはなく市の町名としてもおかしくないようなものがほとんどで、旧渋谷町はいよいよ郡所属の町であること以外は、市と同等の外見を持つに至ったのである。
といったところで、今回はここまで。
東京都渋谷区、町名変遷の歴史昭和時代編
東京都渋谷区、町名変遷の歴史昭和時代編その2
東京都渋谷区、町名変遷の歴史昭和時代編その3
東京都渋谷区、町名変遷の歴史昭和時代編その4
普通選挙(通称普選)運動は、多くの検挙者を出す程大騒動となりましたが、さて婦人も参政権を獲得した今日になって投票率が低迷しているのは生活が安定してる証拠でしょうか。とは言っても一応形だけでも市民の意見を求めただけでも明治時代から見て大きな進歩であると思えますが。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2012/03/06 22:41