昨日(29日)、福島第一原発事故への対応にあたるためとして、菅首相から内閣官房参与に任命された東京大学大学院教授の小佐古敏荘氏が、この職を辞任することを明らかにしたが、この一報を聞いたときには単なる内紛かくらいに思っていた。だが、小佐古敏荘氏がわざわざ記者会見まで開き、その場で配布した資料を読んでみたところ、「嗚呼、この人は沈む泥舟に付き合ってられないのか」という印象を受けつつ、官邸がいかに場当たり的でいい加減、思いつきかつ批判されたら頬被りという実態が裏付けられたと見る。内閣官房参与という立場にあり、専門家的視点で助言したにもかかわらず、首相らに我が儘を通される始末。であれば、本当の身内でもない限り付き合ってられないだろう。そんな印象を受けた「内閣官房参与の辞任にあたって」という小佐古敏荘氏の辞意表明文書を全文(長文だが)引用(表題等は除く)し、その後、私の思うところを述べていきたい。
平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。
なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。
私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。
特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。
ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。
さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から勅命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。
この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。
ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。
1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい
この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。
しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。
初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福井県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。
また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40-50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。
2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい
緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができるわけですが、それにも国際的な常識があります。それを行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになります。
今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。
小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。
また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。まさにこれは、国際関係軽視、IAEA軽視ではなかったかと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る必要があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子力安全行政の復活を強く求めるものである。
以上
内閣官房参与という立場にあり、官邸内にいた人の批判であることに衝撃を受ける。思いつきや想像でないことは「中の人」である以上、仮にそういう部分があったとしても外部の人間よりは少ないはずだ。ましてや、文書作成能力が高い方(東京大学大学院教授)であれば、そういった部分の切り分けも行われていると見てよく、自身の都合による解釈は少ないと見る。そういう視点に立てば、この文書の重みはより強く受け止めなければならないもので、世が世なら、大名行列の一番立派な駕籠に乗っている人に向かって、竹竿の先に「上申」と書かれた紙として差し出されるようなものである(あるいは殿様に向かって諫めるために腹を切る腹心の部下みたいな)。
では、私が一番注目している点について示す。
「今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます」
これについては、多くの方々が国内外問わず実感(痛感)されていることだろう。外部から見ていてそう感じていたものが、実際に内部(官邸内)におられた方ですらこのような感慨を抱き、請われて奉職したものに対して職を辞すわけだからただことではない、となる。小佐古氏は、具体的に以下の事例を掲げている。
- 住民の放射線被曝線量(今後の推計値を含む)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)により成されるべきであるにもかかわらず、法令等に定められている手順どおりに運用されていない。
- 初期プリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量を30km圏といった近傍のみならず、関東、東北の全域にわたって隠さず迅速に公開し、さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステムのデータを隠さず開示し、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべき。(つまり、意図的に隠しているという意で不法行為。)
- 放射線業務従事者の緊急時被曝「限度」は、放射線審議会で「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Sv(=1,000mSv)とすることが勧告されているにもかかわらず、古い考え方に基づく250mSvを妥当としたが、福島原発の厳しい状況を反映して今になって500mSv限度へと「現場に合った」再引き上げの議論が出るなど、場当たり的な政策決定のプロセスかつ行政上の手続き無視は、根本からただす必要がある。
- 福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSv(=0.0038mSv)と決定。文部科学省から通達も出た。しかし、これは緊急時(2~3日あるいは1~2週間程度)に運用すべき数値であって、平時に使用するのは全くの間違い。
特に救われないのは、4番目に示した福島県の小学校等に対する校庭利用の線量基準で、これは緊急時やむを得ないものではなく、今後一年程度を見据えた判断であることで、場当たり的対応を通り越して犯罪行為である。おそらく毎時3.8μSvという根拠は、子供の被曝がどのような健康被害を及ぼすかという視点ではなく、現実に観測される放射線量の測定値のみに依存し、さらに避難区域を拡大したくないという行政上の配慮のみから成立した数値であるだろう。まったくもって、基準の設定がいかにいい加減な、そしてどこに設定の基準を置いているのかという疑問を持たざるを得ない。
また、情報の隠蔽についても強く指摘されている。SPEEDIについては、既に明らかになっているように本来の役割を官邸のいらぬお世話で非公開扱いとされたばかりか、その責任を他者に擦り付けようとしている。公開の適否は官邸が判断する仕組みは原発事故発生後すぐにできていたはずのものが、3月24日になってしぶしぶ公開し、それ以降の情報公開の遅さについても頬被りしている。また、WSPEEDIなるものについてはあまり聞いたことはないが、WとあることからSPEEDIのWide版ということなのだろう。沃素131は半減期は短いが、短いからこそ早く崩壊(核分裂)して強い放射線(β線)を放出するのだから、素早い情報公開が求められるのは自明で、都内でも大量の沃素131が観測された3月中旬までにはSPEEDIはもちろん、WSPEEDIによる累計値、推計値が公開されるべきだった。これを国民がどう受け止めるかは国民側が決めることで官邸側ではない。
こういった情報のほとんどが尖閣ビデオよろしく、国民に見せるのは好ましくないとしてすべて隠蔽していたのだ。代わりに「ただちに」健康に問題はないとか「安全・安心」と妄言を繰り返していたのだから、世界に呆れられてしまうのも当然であり、挙げ句の果てに国会では「しっかり対応している」として権力の座に居座り続けている。おそらく今、首相の座を明け渡せない理由は、官邸の主が交代することによって、これまで隠蔽していた事実を白日の下に曝される恐れを抱いているのではないかと勘ぐられても仕方あるまい。
官邸は、初期動作について誤ったのは仕方がないとまでは言わないが、やむを得ないものもあったのは理解できる。だが、事故が発生して既に約7週間が経過しており、もう言い訳はできない。にもかかわらず、思いつき的に基準値を変えてみたり、超法規的無知対応を繰り返すことは許されないはずだ。また、東京電力の肩を持つわけではないが、被害者の感情だけに振り回される非定見な対応(発言)が、前からかもしれないが最近の菅首相に見られることも「信用不安」に直結していると見る。所詮、政治主導など、この人たちには無理だったと一言で片付けたくはないが、これが現実。小佐古氏が辞めたくなるのも当然かと同情を禁じ得ない。
我が国は法治国家であると思いたいが、今の首相とその周辺を眺める限り、以前から当Blogでも述べているとおり、ド素人がプロの意見を聞かず感情に振り回されるまま暴走しているようにしか見えない。原発のメルトダウンも怖いが、首相・内閣・官邸のメルトダウンも怖いものである。早く燃料棒を取り出して下さい(苦笑)。
2011年4月30日追記
案の定、というか予想どおり菅首相はこの批判に対して「見解の相違」とし、すべて自分が正しいという態度を鮮明にした。やはり燃料棒と同様、自ら出てくることを待っていてはメルトダウンとなる運命のようだ(呆笑)。
参考記事:「首相、小佐古氏辞任「見解の相違」 場当たり批判に反論 1次補正予算案、衆院で可決へ」(日本経済新聞のWebサイト)
参考記事2:「首相「原発対応、場当たり的でない」 辞任参与に反論」(asahi.com)
参考記事3:「原発対応「場当たり的ではない」…首相が反論」(YOMIURI ONLINE)
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