東京都目黒区自由が丘。女性を中心に人気の高いエリアである。東急沿線の中でも人気の高いところであるが、この自由が丘もすべては東京横浜電鉄がこの地に鉄道を敷設し、駅(停車場)を開設したことに始まる。今日の東横線が現在のルートとなるまでもドラマがあるのだが、今回はそれにはふれず、開業当初はどうだったのかについて示していきたい。
現在の自由が丘駅は、昭和2年(1927年)8月28日の丸子多摩川(現在の多摩川)駅~渋谷駅間開通当時に「九品仏」駅として開業した。場所は、東京府荏原郡碑衾町大字衾字谷権現前2867番地。現在の東京都目黒区自由が丘一丁目11番と同二丁目28番の間に位置し、今の東横線のホームよりも北寄りにあった。無論、当初は高架ではなく地上駅であった。
これは町制施行した翌年にあたる昭和3年(1928年)に碑衾町が発行した地図の一部、現在の自由が丘付近を抜き出したものだが、図右側を走るのが東京横浜電鉄線(現在の東急東横線)で、黒塗りされている箇所が図にも記されているように「九品仏」駅の位置となっている。街路パターンは現在とほとんど変わらないように見えるが、これは衾西部耕地整理組合による耕地整理事業によって区画整理がされたばかり。現在と違うのは、図中下方に点線とピンクの斜線で塗られた目黒蒲田電鉄二子玉川線・大井線(現在の東急大井町線)が敷設されることにより、現在の自由が丘駅東側が変更になったところである。
そして二子玉川線と交叉するところに白抜きの長方形が見えるが、これが両線の乗換駅として「九品仏」駅が移転予定する場所。もちろん、両線を平面交叉とするわけにはいかないので、二子玉川線建設工事と平行して東京横浜電鉄線の高架工事が施工された。そして、二子玉川線に新駅「九品仏」駅ができる(計画時はより九品仏に近い駅であるため「九品仏前」だった)ことから、乗換駅となる移設後の駅名は大字名を採って「衾」駅とする予定だったものを「自由ヶ丘」駅とし、昭和4年(1929年)10月22日、移設・駅名変更したのである。(なお、地名としての「自由ヶ丘」は昭和7年(1932年)になって碑衾町の大字として成立した。)
「九品仏」駅は、わずか2年程の駅名であり、かつ現在の場所になかったわけだが、昭和3年(1928年)というタイミングで地元碑衾町が地図を作成してくれたおかげ(タイミング的に町制施行記念だったのかも)で、貴重な資料として残ったといえる。そんなことを思いながら、今回はここまで。
最近のコメント