公式資料であったとしても、それだけを鵜呑みしてはならない。古くはIntel社の8080マニュアルであったり、最近では東京急行50年史であったり…と。とどのつまり、公式とはいってもいわゆる中の人や執筆委託を受けた人が詳しい人でなかったなら、その内容は推して知るべし。で、今回採り上げるのは、昭和時代の渋谷区の町名について調べる中、参考にしようとした昭和40年版の渋谷区政概要である。と、前振りはこのくらいにして、現物を確認しよう。
町名一覧と称する表で、全部で2ページにわたり、町名、読み方などが記載されている。上に示したのは1ページ目で書き写すと、
- 恵比寿通(えびすどおり)
- 恵比寿東(えびすひがし)
- 恵比寿西(えびすにし)
- 恵比寿南(えびすみなみ)
- 下通(しもどおり)
- 中通(なかどおり)
- 八幡通(はちまんどおり)
- 上通(かみどおり)
- 栄通(さかえどおり)
- 大向通(おおむかいどおり)
- 神宮通(じんぐうどおり)
- 伊達町(だてまち)
- 景丘町(かげおかちょう)
- 原町(はらまち)
- 長谷戸町(ながやとちょう)
- 山下町(やましたちょう)
- 新橋町(しんばしまち)
- 豊沢町(とよざわちょう)
- 元広尾町(もとひろおちょう)
- 宮代町(みやしろちょう)
- 豊分町(とよわけちょう)
- 永住町(ながずみちょう)
- 上智町(あげちまち)
- 衆楽町(しゅうらくちょう)
- 代官山町(だいかんやまちょう)
- 田毎町(たごとちょう)
- 氷川町(ひかわちょう)
- 若木町(わかぎちょう)
- 羽沢町(はねざわちょう)
- 常磐松町(ときわまつちょう)
- 緑岡町(みどりがおかちょう)
- 金王町(こんのうちょう)
- 並木町(なみきちょう)
- 猿楽町(さるがくちょう)
- 鉢山町(はちやまちょう)
- 鶯谷町(うぐいすだにまち)
さてさて、ここで当blogをそれなりにご覧いただいている方は「あれ?」と思われることだろう。約三か月前に「東京都渋谷区に「町」(ちょう)と読む町名が多い理由」という記事で示したように、歴史的経緯で渋谷区には「町」を「ちょう」と読む町名が多いのだ(旧渋谷町のエリアはすべて「ちょう」と読む)。だが、上に示したうち「町」を「まち」と読ませるものは、
- 伊達町(だてまち)
- 原町(はらまち)
- 新橋町(しんばしまち)
- 上智町(あげちまち)
- 鶯谷町(うぐいすだにまち)
と5つもある。これらはいずれも旧渋谷町に属するので、昭和40年版渋谷区政概要に掲載の内容がすべて正しければ私も再考しなくてはならなくなる。と、議論を進める前に残りのもう1ページを示しておこう。
若干下が欠けてしまったが、欠けた部分も含め以下に補完すると──、
- 桜丘町(さくらがおかちょう)
- 南平台町(なんぺいだいまち)
- 大和田町(おおわだちょう)
- 美竹町(みたけちょう)
- 青葉町(あおばちょう)
- 宮下町(みやしたちょう)
- 北谷町(きたやちょう)
- 宇田川町(うだがわちょう)
- 円山町(まるやまちょう)
- 神泉町(しんせんちょう)
- 松濤(しょうとう)
- 神山町(かみやまちょう)
- 神南町(かんなみちょう)
- 神園町(かみぞのちょう)
- 竹下町(たけしたちょう)
- 本町(ほんちょう)
- 幡ヶ谷(はたがや)
- 笹塚(ささずか)
- 代々木山谷町(よよぎさんやちょう)
- 代々木(よよぎ)
- 初台(はつだい)
- 元代々木町(もとよよぎちょう)
- 西原(にしはら)
- 大山町(おおやまちょう)
- 上原(うえはら)
- 富ヶ谷(とみがや)
- 代々木深町(よよぎふかまち)
- 代々木外輪町(よよぎそとわまち)
- 隠田(おんでん)
- 原宿(はらじゅく)
- 千駄ヶ谷(せんだがや)
- 千駄ヶ谷大谷戸町(せんだがやおおやとちょう)
とあり、こちらも「町」を「まち」と読ませるものを列挙すると、
- 南平台町(なんぺいだいまち)
- 代々木深町(よよぎふかまち)
- 代々木外輪町(よよぎそとわまち)
と3つあるが、こちらは先ほどと異なり、旧渋谷町のエリアに属するものは南平台町のみである。よって、旧渋谷町のエリアで「町」を「まち」と読ませるものは合わせて、
- 伊達町(だてまち)
- 原町(はらまち)
- 新橋町(しんばしまち)
- 上智町(あげちまち)
- 鶯谷町(うぐいすだにまち)
- 南平台町(なんぺいだいまち)
の6つとなる。では、この6町が昭和40年渋谷区政概要が示すように「まち」と読むのが正しいのか。少なくとも、現在の住居表示でも同じ町名が踏襲された鶯谷町と南平台町は、どちらも「ちょう」と読むようになっている。その他の4町についても、昭和7年(1932年)渋谷区が成立した際に、旧渋谷町エリアの大字は「~通」となっているもの以外はすべて大字名の後に「町」を付し、すべて「ちょう」と読ませたことから、正しくはすべて「ちょう」と読むはずである。
しかし、東京の読みが江戸から改名された直後はトウケイと読ませるとしたものが、いつしかトウキョウ(トウキャウ)となったように、読みとはうつろいやすいものである。したがって「まち」と読ませることが完全に誤りであるとは言いがたい面もある。なので、すべて誤りだと断言しないでおくが、これを鵜呑みするわけにもいかないとしつつ、今回はここまで。
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