その当時は当たり前だと思っていることが、時代を経ることで当たり前でなくなり、いつしかその由来すら失われていく。若い頃は、いちいちそんなことを言ったって変わるものは変わるのだし、忘れ去られるものはそういう流れの中にあるのだから気に留めることもない。そんなことを思っていたのは、所詮、その時代に愛着がないからである。自分の体験(体感)したものが風化していくのは、やはりどこか寂しいものだ。で、今回はタイトルどおりで東京都渋谷区神南といえば、NHK(日本放送協会)があるところであり、インターネットが普及していない頃は、NHKがご意見募集として当たり前のように連絡先を「とうきょうとしぶやくじんなん~」とアナウンサーが喋っていた(今はあまり聞かない)。神南は「じんなん」と発音し、これは渋谷区が昭和45年(1970年)に住居表示を実施した際にも「じんなん」と読むとしているので、これはこれでまったく正当である。だが、しかし──。
今より遡ること、83年前。昭和2年(1927年)11月12日、東京府は豊多摩郡渋谷町に対し、「町大字名改称及区域変更並小字名廃止ノ件」を許可した。これをもって渋谷町は、従来の大字である上渋谷、中渋谷、下渋谷等を廃して、新たに66大字を起立したのである(施行は昭和3年1月1日)。形の上では大字だが、事実上は市と同等の町丁名の起立であった。この66大字の一つに「神南」があり、命名理由は「明治神宮ノ南方ニ当ルヲ以テ、神南ト為ス」として、読み方は「カンナミ」とした。なお、東京都渋谷区が発行する渋谷区史やこれを参照したと思われる渋谷区ホームページの地名の由来コーナーには、
昭和3年に、前耕地、豊沢、宇田川、深町の一部などが合併して「神南町」となりました。
と神南の説明が付されているがこれは誤りで、「神南町」となったのは昭和7年(1932年)10月1日、渋谷町が東京市に合併して東京市渋谷区となってからである。昭和3年(1928年)1月から昭和7年(1932年)9月末日と、わずか4年9か月ではあったが、この間は「神南町」でなく「神南」が正しい。
そして、このページには「神南」を説明する最後に興味深いことが記されている。
戦後からは、「じんなん」と発音されています。
そうなのだ。私が不思議に思ったのは、渋谷町の字名地番改正に関する資料には、しっかりと「カンナミ」と読み仮名が振られているにもかかわらず、なぜこれが継承されずに「ジンナン」となったのだろうかということだったが、むしろ一般的には「ジンナン」でなく「カンナミ」であったことが不思議に写るようである。さらに、神南町が住居表示制度によって神南一~二丁目になってから「ジンナン」と読まれた(変わった)のではなく、それ以前から「ジンナン」と呼ばれていたのは、神南一~二丁目が成立した昭和45年(1970年)よりも前にNHKが昭和40年(1965年)に神南町に移転した際、既に「ジンナン」と呼称していたからである。
そして、さらに以前。太平洋戦争敗戦後、進駐してきた米軍が代々木練兵場跡に建設したワシントンハイツは、その一部が渋谷区神南町の地にかかっており、この時にアドレス(住所)として「JINNAN」と表記するものがあったことから、確かに渋谷区のホームページにあるように「戦後から」、それも早い時期に「ジンナン」と変更されていたのである。
さてさて、そこまで確認できると続いては、それが戦前にまで遡るものかそうでないのかという点であるが、残念ながらそこまでは確認できていない。渋谷区ホームページを信用してもいいのかもしれないが、「神南町」を昭和3年からとしている時点で鵜呑みはできない。戦後からだとする理由は、最もらしいものとして「明治神宮」に由来する「カンナミ」読みは新時代に相応しくないとして忌み嫌われ「ジンナン」をあてたとする説や、ワシントンハイツのアドレス(住所)として相応しくないので「JINNAN」と表記(呼称)した説。どちらも戦前・戦後の激変からしてあり得る話だと思うが、明治政府が江戸を東京とした際、「トウケイ」がいつしか「トウキョウ」となったように、戦前のある時期から「カンナミ」でなく「ジンナン」と読むようになったと私は考えている(証拠はないが)。なぜなら、明治神宮は「メイジジングウ」であるし、表参道に面するあたりを神宮前、「ジングウマエ」と読むのだから、渋谷町で決めた神南、渋谷区になってからの神南町を「カンナミ」でなく「ジンナン」と読んでしまっても不思議はない。俗称として「ジンナン」と戦前からあったのではないかな、と思うのである。
とはいえ、こんなことを立証するのはほとんど不可能だ。その当時、その時代に生きていた人たちにとっては当たり前だったものだろう。読み方というものは。だが、それがどう読まれていたかは、後の時代の人にはわからない。そんなことを11月の最初の日に考えてみたのだった。
それにしても、神山、神泉、神南と似たような町名が一カ所に集中しているのも全国的にも珍しい例ですね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/11/01 10:20
コメントありがとうございます。
確かに「神」の付く地名が多いですね。仰せの他にも、神南の北にあった神園を加えれば4つもあります。このうち、明治神宮に因むのは神南と神園、神山と神泉はそれぞれ個別の由来を持ちますが、集中しているとのご指摘にはなるほどと頷くことしかできません。
投稿情報: XWIN II | 2010/11/05 12:29
通りがかり失礼します。興味深いです。
私は聖書と日本のつながりを調べてますが、カナンというのは、聖書の民にとり約束の地でした。だから神南という苗字の人もいたと知り、こちらにたどり着きました。聖書の神は、泉、岩、山、などの象徴が多いから、この神南町近辺も昔はそれが関係していたかも知れませんね。
投稿情報: ポン太 | 2019/04/29 15:08