さて、今年2本目の話題(残り今日入れて6日なのだが)は、いつか書こうと考えていた東京都大田区に建設予定とされている蒲蒲線(新空港線)について、となる。とはいえ、久しぶりに取りかかるということもあって、ネタ探し(思い起こし)作業から行っているが、面白いことにほとんど進捗していないため、過去知識のアップデートをほぼ必要としないことが、数十年店晒しにされて久しい鉄道建設計画だなとも感じ入るところ(苦笑)。
そもそも、蒲蒲線とは何かというのは、Google検索等やSiri等にお尋ねいただければわかるが、JR蒲田駅と京急蒲田駅を接続するということだけを目的として考えられ、現在では東京国際空港(羽田空港)への多様なアクセス線への一環として、最重要整備路線の一つとして数えられるまでになった。往古を知る者からすれば、隔世の感がある。たかが1kmにも満たない計画線がここまで出世(あくまで計画上ですが)できたのは、間違いなく羽田空港の国際化が進展していることと無縁ではない。今や4本の滑走路を数える羽田空港は、東京都心との近さなどから成田空港よりも利便性は高く、首都圏という観点から見ても、国内線の乗り継ぎ等も考慮に入れれば、こことのアクセスが最重要であるのはコロナ禍の今においても揺らぐものではない。
だが、しかし。重要路線と位置付けられながら、なぜ一向に進捗しないのか。これはかつて当Blog内でも様々な記事内でふれてきたように、東急と京急との営業エリア問題をはじめとする京急電鉄との兼ね合いを無視して進めることが困難であるからに他ならない。私は中の人ではないので想像するしかないが、地元大田区と京急電鉄の仲は決して良いようには見えない。連続立体交叉事業(大田区内では大森海岸駅〜六郷土手駅間、京急蒲田駅〜天空橋駅間)において、両者は密接な関係になければならないはずだが、京急蒲田駅に優等列車を止めないというアナウンスをはじめ、そもそも蒲蒲線を一顧だにしない姿勢など、全くかみ合っていないように見えたからである。
それは京急電鉄にとって、蒲蒲線は全く有意な路線でなかったからである。その昔、京急空港線が名ばかりで海老取川を渡る手前の羽田空港駅で止まっていた頃は、ここに本線経由で空港利用客を大量輸送しようとは考えてもいなかったのだ。事実、名ばかり羽田空港駅から空港ビルまでのバス路線が時間1本あるかないかで、利用客もほぼなかった時代が長く続いていた。京急空港線が羽田空港沖合展開事業によって、ようやく海老取川を渡り、空港ビルに駅直結するようになって京急空港線の価値が再発見されたこと。これによって、京急電鉄の戦略が品川駅及び横浜駅からの空港直結という形に変わり、途中駅の京急蒲田駅は単なる京急空港線への分岐点という価値だけでしかなくなったのである。
そして、もう一つ重要な視点がある。それは蒲蒲線ができてしまったなら、JRの利用客は品川駅及び横浜駅から京急線を利用するのではなく、JR蒲田駅からわずか数kmしか利用してもらえなくなってしまうのだ。建設負担を強いられた上、自社の鉄道利用が減少するという愚策を京急電鉄が選択しないのは自明である。
この結果は、当然のことながら理解してしかるべき事案のはずだが、地元大田区はそんなものどこ吹く風であったので、京急電鉄に配慮した計画提案ができることもなく、ただ単に年月を重ねていたのだ。そして、今では東急電鉄に鞍替えし、交通政策審議会答申にあった形をねじ曲げた上、無理やり第一期線と第二期線と自分に都合のいい形で大田区計画とし、蒲田と京急蒲田をつなげようというのである(失笑)。
このことは、交通政策審議会答申に書かれていた羽田空港へのアクセスがほぼ無視されていることがわかる。そもそも答申路線は、京急空港線大鳥居駅付近で京急空港線と相直運転を行うことで、東京城西圏との鉄道ネットワークを最大限に活かすこととなっているが、京急蒲田駅止まりで相直運転がなければ、単に蒲田と京急蒲田がつながるに過ぎない。加えて、京急蒲田駅は高架駅であり、蒲蒲線計画の京急蒲田駅(仮)は第一京浜と環八通りの交叉点地下なので、この交叉点は地下に立体交叉となっているため、地下15〜20メートルあたりに駅がつくられる見込みである。イメージとしては、東京メトロ丸ノ内線と同南北線の乗換えが近い(実際はそれ以上だろう)。こんな高低差のある乗換(しかも距離もそれなりに離れている)を行うくらいなら、素直に品川駅か横浜駅で乗り換えた方が楽である。
地元大田区は、全体を俯瞰した計画が立てられず近視眼的なものしかならないのは、職員等の能力不足とかではなく、地元優先の声に引っ張られているためだと思うが、どうしようもないプランで先に進まないのは、既に京急電鉄との長い付き合いでわかっているはずだ。今は新線建設に実績のある東急電鉄が相手とはいえ、コロナ禍で営業成績が落ち込んでいる今、先の見えない投資価値の低いものに対して建設するほど愚かではあるまい。
さて、リハビリがてらあれこれ書き殴ってきたが、書いているうちに色々と思い出してきた。近日中には、歴史や経緯も踏まえ、きちんとした形であげられればと考えているが、最後に蒲蒲線のクリアファイルを掲げて終わるとしよう。というわけで、今回はここまで。
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