東京電力は、「今朝(6日午前5時38分)福島第一原発2号機取水口付近からの高レベル放射能汚染水が止まった」と発表したとのニュース報道が流れているが、ぬか喜び、あるいは東京電力の見解では止まったというだけでないことを期待する。
取り急ぎ、これだけで様子見だ。
参考記事 「高濃度放射能汚染水、海への流出止まる 福島第一2号機」
参考記事2「福島第一2号機、高濃度汚染水の流出止まる」
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東京電力は、「今朝(6日午前5時38分)福島第一原発2号機取水口付近からの高レベル放射能汚染水が止まった」と発表したとのニュース報道が流れているが、ぬか喜び、あるいは東京電力の見解では止まったというだけでないことを期待する。
取り急ぎ、これだけで様子見だ。
参考記事 「高濃度放射能汚染水、海への流出止まる 福島第一2号機」
参考記事2「福島第一2号機、高濃度汚染水の流出止まる」
我が国だけの原発関連の報道や発表を見ていると、まるでリビアの首都トリポリにいるような錯覚を覚える。カダフィ政権は安泰で、アルカイダと欧米が手を組んで反乱軍を指揮している。この危機に国民は立ち上がるべきだ!と。だが、我が国を始めとして世界各国の報道を見れば、そうでないことは明らかだ。
昨日、東京電力及び政府は「高レベル」放射性物質に汚染された水を海に1万トン以上を不法投棄するとしたが、公式発表を含め、一様にこれを「低レベル」としている(そもそも不法投棄自体が国際法に引っかかりそうだが)。だが、規制基準の100倍以上の濃度でありながら「低レベル」と主張する理由がわからない(比較対象を10万倍とすれば低いには違いないが、そもそも何を対象にすべきかは論を待たない)。近いうちに国民向けの飲食類についても、海にばらまいても影響はないとわかったので規制値を100倍ほど引き上げます、なんてことが起こりうるのではと思う。そう、カダフィは無敵なのだ、と(苦笑)。
言うまでもなく、このような重大決定に東京電力だけがかかわっているわけではない。内閣(官邸)や経産省の原発関係の御用学者が仕切る委員会などは他人事を決め込んだ態度でいるが、何のために東京電力と一体化した組織を立ち上げたのか。危機に対して内部で足の引っ張り合いを続けている様は、滅亡する組織の有り体と同じである。今後、ますます必要な情報は公開されなくなるだろう。カダフィ周辺の側近たちが国外(政権外)に逃亡しているのと何が違うだろうか。
公開されないと言えば、我が国の気象庁が予測している放射性物質拡散シミュレーション(これは世界的に義務づけられているので我が国だけの都合で行っているものではない)も先頃、ようやく官房長官が公開されるべき情報だとコメントしたが、現時点(日本時間5日午前7時)で公開されていない(2011年4月6日午前追記:ようやく公開されました。参考記事「ようやく公開された 気象庁の放射性物質拡散予測資料」)。英国、フランス、ドイツ、ノルウェー等など、各国は公開しているのに、肝心の放射性物質垂れ流しのお膝元の我が国で公開されないのは、国民に対してはもとより世界の人たちに対しても背信行為だろう。これは気象庁単独の判断でないことは、尖閣ビデオを非公開扱いしたことからも自明なように政府の判断が働いているのは言うまでもない。このインターネット全盛の時代に、戦前のような(インターネット夜明け前のような)情報統制を敷くことが求められているはずがない。
(C)DWD
これはドイツDWDの予測。
(C)NILU
これはノルウェー気象庁の予測。これら予測よりも、より確実な予測ができるのが我が国気象庁だと思うのだが…。
このような情報非公開はもとより、場当たり的な漏水対策(高分子ポリマーを採用するといったが、真水用のものを使うなどド素人的対応)など、我が国政府(=東京電力)の対応は目に余るものがある。これをすべて東京電力のせいにしようという態度も気に入らない。非常時に批判はよくないとか、政党の大連立が模索される中、妙な方向に進まないようにするには、まずは正確で的確な情報提供が国民になされなければならないと感ずる。今、求められているのは大政翼賛なのか、と。「大連立=大政翼賛」的なことを本気で考えるなら、統一地方選という茶番をやめた方がいいとさえ思う。
いつも以上にまとまりはないが、今回はここまで。
当blogでも、原発事故に至るまでのいい加減さについては御用学者にその片棒を担がせている的な視点で書いてきたが、旧石器遺跡捏造と同様に本人が意識してかそうでないかを問わず、学問の権門とも言うべき人たちがそれを推進してきたことに変わりはない。とはいえ、正確な情報をなかなか得にくいだけでなく、調査するには時間もかかることもあって、なかなか「こいつらが御用学者(=戦犯)だ」と名指しするのは難しい。しかし、各種メディアの過去記事を見ていけば今まで以上に過去の発言や立場というものを調査することは、Internetのおかげで調べることはたやすくなっている(比較の問題)。
そのような無数の情報の中で、なかなか正鵠を射ていると思われる記事を見つけたのでご紹介しよう。これ(「いい加減な「原発安全審査」進めた御用学者5人」 My News Japanより)は、3年半前に書かれた記事なので、現時点では微妙に異なる点もあるが、御用学者と名指しされた5人については以下の通り。
肩書きは、上記リンク記事の引用のままとしたが、重要なポストに今でも座っている人たちは括弧書きで示した。もうおわかりだろう。今、一所懸命保身に走っていることが…。
参考記事「「電源喪失で容器破損」東電報告書検討せず」(YOMIURI ONLINE)
東京電力のせいにしようと一所懸命ですな(呆)。
参考記事2「姿見えぬ原子力安全委 事故時の助言役、果たせず」(asahi.com)
戦犯と言われるだけあってすばらしい対応ですな(斑目)
参考記事3「電源喪失、認識の甘さ陳謝 保安院・安全委トップら」 (asahi.com)
言い訳は誰でもできる。東京裁判ならぬ福島原発裁判をやらねばなりませんな。前例踏襲主義なら絞首刑確定か。
本書は今を遡ること10年半ほど前、毎日新聞のスクープにより明らかにされた「旧石器遺跡捏造事件」の当事者(共犯者?)とも目された側であり、かつ前中期旧石器時代の理論的支柱とも言えたいわゆる岡村理論の提唱者でもある岡村道雄氏による著作である。本書の出版は昨年(2010年11月)であるが、ようやく購入できたので一気に読んでみた。以前、読んだことのある「旧石器捏造事件の研究」(著者:角張淳一、発行:鳥影社)については当blog記事「「旧石器捏造事件の研究」読了、とその感想」に示したとおり、何度も何度も読み返して理解を深める必要があるほど中身の濃い著作であったが、残念ながら本書はそのレベルにはるかに及ばない。言い方は悪いが、読み捨てるレベルでしかないとなる(あくまで角張氏の著作との比較)。
とはいえ、当事者と目される側からの情報発信は大変意義深いものであり、そういう意味では中身云々は関係がないとも言える。また、出版が歴史書を数多く出版している山川出版社であることも注目で、この経緯については本書の最後に「『旧石器遺跡捏造事件』を編集して」という本書の編集担当である酒井直行氏の4ページほどの小論で確認できるが、かつて結果として誤ってしまった書籍(「最古の日本人を求めて」発行:新人物往来社)にかかわったことに対する懺悔でもあるようだ。
本書「旧石器遺跡「捏造事件」」(表紙にはカギ括弧がついているが背表紙にはなく奥付などにも付いてないがこのように表記しておく)には、さすが論文の名手とされる岡村道雄氏だけあって目次が充実しているので、これを掲げることで本書の概要は掴めるだろう。
序章 旧石器遺跡捏造の経緯
第一章 「栄光」への軌跡
1 石器文化談話会の始まり
藤村の生い立ち
旧石器への関心
藤村との出会い
石器文化談話会の設立
発掘の仕組み
2 本格化する発掘活動
薬莱山麓へ
旧石器遺跡の発掘方法
層位と型式
3 「座散乱木」への道
旧石器発掘をめざして
最古「動物形土製品」の出土
不思議だった藤村の態度
4 大発見
前期旧石器存否論争
最高の瞬間
山田上ノ台遺跡でも
期待高まる座散乱木第三次発掘
続々出た前・中期旧石器とその時代
馬場檀Aに賭ける
試みられた科学的分析
復元された「原人の生活」
「前期旧石器論争は結着した」
第二章 失墜した“ゴッド・ハンド”
1 拡大していく戦果
宮城から関東へ
夢の“怪挙”「遺跡間接合」
東北旧石器文化研究所の設立で全国展開へ
「藤村業績」の宣伝に加担した私
覆い隠せなくなった矛盾
秩父で藤村・鎌田と論争
2 捏造発覚
毎日新聞の大スクープ
大混乱になった学術関係機関
地に墜ちた考古学への信頼
3 相次ぐ私への批判
自著の回収・絶版
“共犯者”扱いまでされた私への批判の嵐
「君はやってないんだよね」
「聖嶽遺跡」事件への波及と賀川学長の自殺
4 残された膨大な後始末
始まった検証への動き
心が凍りついた藤村の捏造痕跡
遠藤智一さんの無念
第三章 捏造発覚から一〇年を経て
1 見破れなかった藤村の知恵
割り箸であぶった石器が“世界初”の発見に
専門家も見破れなかった“埋め込み”実験
藤村が得意とした偽造「石器埋納遺構」
『岩宿の発見』がモデル?
2 見破れなかった私の甘さ
偽書『東日流外三郡誌』事件との共通点
“夢”が疑う目を曇らせた
マジックショーに魅せられていた私たち
疑問を呈するとすぐ石器が飛び出した
「まさかあの純朴な男が」という予断
3 私が経験した数々の疑問
いつから捏造は始まった?
封印された疑問の数々
座散乱木「二つの不思議」論争
私にもよぎった疑念
見逃されていた「不自然な一致」
馬場壇、志引にもあったおかしな現象
4 この一〇年で考えたこと
旧石器が捏造の舞台に選ばれた理由
前旧石器存否論争の呪縛
なぜ不自然さを追及しなかったか
“大発見”ムードにかき消された少数意見
科学分析はなぜ捏造を見抜けなかった?
藤村の暴走を後押しした考古学ブーム
過熱マスコミ報道の功罪
欠けていたタフォノミーの精神
5 藤村との再会
疑問だらけの「藤村告白メモ」
どうしても本人に確かめたかったこと
「神の手」を自ら切り落としていた藤村
「覚えていない」の一点張り
第四章 明日への考古学
1 三つの過ち
頭になかった「第一発見者を疑え」
悔やまれる発掘担当者としての力不足
権威づけした重大責任
2 ささやかな私からの提言
①学問的記憶としての捏造事件
②石器研究方法の進展
③自然科学との連携と共同研究の深化
④発掘成果の公表と報告書の刊行
⑤検討・議論による成果の確定と公表・普及
⑥学問的・行政的なチェック体制
⑦発掘者・研究者倫理
⑧マスコミとの連携
3 考古学の信頼回復のために
①考古年代を暦年代に変える必要
②日本最古文化の探究
終章 旧石器遺跡捏造の総括
以上。かなり詳細にわたって目次を引用したので、概要は掴めよう。本書の読後感については、それこそ立場や経験などによって様々だと思うが、私が感じたのは「ああ、この人は学者なのではなく役人なんだ」という印象が第一で、客観的に振り返っている「つもり」であるが、その実、自己保身に走っているということである。反省の言葉や懺悔はあるが、あくまでそれは自身に向けられたものではなく、自分自身も巻き込まれたのだという主張である。これは、最近の原発事故における保安院や委員会の態度に近いところだ。
そして、本書229~230ページにわたって、対マスコミに対する著者の反省の弁がある。
新聞・テレビへのコメントでもマスコミの期待に応えすぎた。否定的・消極的なコメントでは記事にはならず、少し過大に評価してインパクトのあるように説明しないとコメントとして採用されない傾向がある。したがって異論・否定論は表面に出にくく、研究者の全員が承認したような状況になる。
とあるのは今も昔も変わらない。これは視聴者(読者)自体が素人であるので、取材するマスコミもあまり専門性を期待していないこともあるが、週刊こどもニュースで名をあげたわかりやすいと評判の池上彰氏もここに著者があげたような傾向が強い。こどもに対してはやむを得ない説明手法と見ていたが、今や大人に対しても同様で辟易するが、大人(視聴者)のレベルが低いのだから仕方がないか。まぁそれはともかく、捏造事件の首魁とも目された著者にしては、ちょっとインパクト弱めと思う内容だが、それは編集者のコントロール下に置かれた内容だと慮れるか…。
しかし、報告書スタイルとしては非常に参考になるのは疑いない。「なぜ?」という部分が解明できていないのは残念だが、様式美としては優れている。
語りたいことはまだあるが、最後に本書201ページの一部を引用して結語としたい。
結果的にはマスコミに取り上げられると世論の動向を左右し、社会的な風潮を生み、評価や権威づけにつながることとなる。
このような状況、関係性の下で、マスコミと研究との利害関係が一致する場合は、もたれ合い、馴れ合いを生みやすい。不確実な部分があっても触れず、取り上げずに、都合のよい面をできるだけ派手に取り上げ、面白くわかりやすいようにネタ作りしがちになる。また、応々にして既発見や先行研究、類例には触れずに、ニュースとして取り扱う場合もあるようだ。
このような馴れ合いは、結果的に成果の検証・吟味や論証が甘くなり、成果を評価して権威づけ、マスコミのニーズに沿った成果や研究の方向性さえ生むことになっているかもしれない。遺跡捏造の背景のひとつにも、このような傾向があって、捏造が長年続いてきたように思われる。
要するに、単純化したマスコミの構図(しかも思い込みによる誘導)で判断せず、自身の頭で考えてみる、要旨(言わんとすること)を再構築することが重要だ。そんなことを踏まえつつ、今回はここまで。
最初にこのニュース(「保安院、東電の放射性数値に「誤りの可能性」「大変遺憾」」)を聞いたときに耳を疑ったが、すぐに「ああ、やっぱりな」と思った。なぜか。それは、通常測定されることのないような(つまり想定されていないような)高い放射線量値にプログラムが対応していなかった可能性が指摘できるからである。意図的(隠蔽)、という疑いを持つ方もあるかもしれないが、私は話は単純だと見る。理由は、東京電力(会社員と下請けに丸投げ)も経済産業省原子力安全・保安院(公務員と天下り、御用学者)も異常値を異常値だと認識できず、専門家集団の原子力安全委員会によって、ようやくそれがわかるレベルだからだ。つまり、そういった知識のない東京電力が、分析プログラムが適切な数値を出しているか否かの検証などできるはずがないので、意図的に悪意を持って誤った解析結果を発表していたとは思えないからである。
一方、分析結果解析プログラムもどこまでが上限か(要は仕様上の上限値はどこまでか)によって、いくら分析結果が誤っていようと「それは仕様です」(いい意味での)という可能性もある。例えば、どんなに多くても正の整数値のみで30,000を超えることはないと言われれば、16-bit整数値(0~65,535:十進整数)で設計するだろう。そうした設計で実装されたプログラムに対し、100,000という整数値がデータとして入力されてしまったなら、それはどうコーディング(プログラミング)されたかによって様々な結果となる、つまり不定値となり、素人さんから見れば「バグだ」と騒ぐだろう。だが、わかる人から見ればこれがバグなどでないことは自明だ。
あまりに情報が少ないので、この程度の予想しかできないが、とどのつまり、東京電力にも保安院にも分析・判断能力などなく、分析プログラムに問題(不具合)があるというのは責任転嫁だとしかならない。官邸が素人集団なのは仕方ないにしても、原発の専門家と見られていた集団もこの体たらくでは、米仏の応援部隊に頼むしかなくなる。実際、そうなっているわけだが、つくづく初動の遅さが悔やまれる。子供の火遊びが大火災になってしまったかのようだ。
先月(3月)21日、都内(新宿区)の環境放射線測定値が雨による影響で0.1μGy/hを超えて以来、なかなか0.1を切ることがなかったが、ついに本日(1日)午後5時台になって11日ぶりに最大値が0.1を切った。平均値は昨日(31日)午後5時台から0.1を切っていたが、ようやく最大値も最小値も平均値も0.1μGy/hを切ったことになる。
しかし、これだけ0.1を切るのに時間がかかるとは正直甘く見ていた。先月20日夜遅くから少しずつ降り始めた雨は翌日本降りとなり、しばらく降り続いた。その結果、おそらくは水に溶けやすい沃素131が地上に降下し、放射線量数値を引き上げたわけだが、しばらく晴れが続いたにもかかわらず、なかなか数値は下がらなかった。徐々に下がりはしたが、それでもこれだけかかった。計算上は沃素131の半減期が約8日であるので、雨がやんで確かに8日ほど経過したことから、上昇した分の半分まで下がったのは正当だ(0.05あたりから0.15あたりまで上昇したが、これが1.0まで減れば上昇した分から見れば半分となる。つまり半減期の約8日と一致する)。だが、気持ちの上ではなかなか減らないものだと感じていた。
しばらく福島第一原発からは放射性物質が漏れ続けるだろうから、また雨が降る度に数値が上がっていくのだろう。確かに梅雨までが勝負だという感じだ。
先月11日の東北関東大震災(東日本大震災)以来、NHK BS1はいわゆる震災シフトとなり、朝夕(夜)は地上波と同じ番組を流すなど、大幅に番組構成が変わってしまっていた。それがようやく年度の区切りとなる、そしてNHKの3つのBSチャンネルが2つに再編成されるこのタイミングで、元に戻った(というか新番組が開始)。
私が不満を覚えていたのは、朝、世界のニュースを提供する「おはよう世界」がしばらく放送されなかっただけでなく、復活してからも朝8時からにタイムシフトしてしまったことで、朝、世界のニュースを見ることができなくなったことだ(結果としてWeb上の各国のニュースサイトを見ていたわけだが)。録画してみることができないわけではないが、ニュースを録画で見るというのは今ひとつである。それがようやく今朝から新番組「ワールドWave Morning」として視聴できるようになったことはうれしい。
一部キャスターの入れ替えやコーナーの変更はあるが、基本的にはこれまでの「おはよう世界」と近い内容であり、満足しつつ、今回はここまで。
追記
世界の天気コーナーだけはいただけない。晴とか雨マークが見にくいだけでなく、概況の説明も今イチ。お天気ねえさんがなれていないという問題はあるが、それ以前のところのような印象強し。
追記2
政府は今日、東日本大震災と公式に命名。NHKはこれからも東北関東大震災と言い続けるのか?
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