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2019/04/28

コメント

久しぶりにこのブログを開いて、「あ~今はもう更新してないんだろうな」と思ったら、なんと!2019年4月。ということは平成最後の月に更新されていたんですね。嬉しいです!

「昭和7年」ですか。ありがとうございます。はっきりわかって嬉しいです。
手持ち写真の昭和4年には高圧鉄塔がなく、10年のにはある。
この間だろうなとは思いましたが、明確にされてスッキリした気持ちになれました。

また、時々でいいので、ブログ更新していただけたらと思います。
時は流れていきますね。もう令和なんだ。
昭和が二つ前の元号になってしまいました。なんか寂しいです。
大正の方の貴重なお話を聞く機会もどんどんなくなっていきつつあります・・・

どうも、ご無沙汰しています。
責任ある立場になってしまったため、常に部下の監視下にあり(苦笑)、加えて常時接続状態であることから(便利にはなりましたが)、真の意味での自由時間がほぼなくなって久しいのです。空き時間も細切れで、Twitterで遊ぶくらいならまだしも、腰を据えてじっくり考察しながら記事を書く時間が取れない・・・。
そんなわけで、貯めに貯めた資料も読むことはできますが、分析している時間がなく、今回の記事もただ単に書いてありましたレベル。
働き方改革も突き詰めれば、単にゆとりがなくなっていくだけでしかないので、報酬は増えても自由時間とゆとりがないという・・・。愚痴ばかりで申し訳ないのですが、こんな働き方もそろそろできなくなるでしょうから、その暁には余生と共に書き連ねていこうとは思っています。
INPUTはできているので、あとは考察して史料批判した上で世に問うてみよう、と。そんなわけで今しばらくお待ち願います。

あの鉄塔のおかげであの鉄道会社系の建設会社にいるとき電力会社とお話がスムースに行きました。一般的に私鉄は電力部門(配電網を含め)東電にタダ同然でとられているのでその貸し借りは永遠に続くでしょう。千鳥町の変電所は住んでいた久が原から下丸子の模型屋快飛堂まで息のによくあの前を通りました。当時は(昭和37年から42年ころまで)あの変電所前にどぶ川が流れていました。

「快飛堂」で検索したら、このブログに行き着きました。
半世紀以上前、下丸子に住んでいた子供の頃、入り浸っていた模型やです。私は鉄道模型でしたが、快飛堂の店主達はUコンの飛行機を良くやっていて、店の裏の石炭ガラ?の空き地で、良く飛ばしてたのを、側で見ていました。
何十年もまえ、長じて、付近に行ってみたら跡形も無くなっていました。側の多摩川通り沿い(環八の側)に移転したところまでは知っていますが、そのご、店を閉めたのか、どちらかへ移転したのか、もしご存知でお教えいただければ幸甚です。

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