前回(その10)は、池上電気鉄道調布線・国分寺線との対立(競合)路線である目黒蒲田電鉄二子玉川線(最初期は玉川線。のちに二子玉川線と称す)の計画変更に伴う、地元からの陳情書をあげるところまで話を進めた。ここで二子玉川線(現 東急大井町線の一部)に深入りしてしまうと出てこられなくなる可能性もあるが、池上電気鉄道が計画を早期に進めなければならない理由の一つとして、もう少しこの部分にだけ深入りしていく。
まず、当局(東京府)に提出した陳情書を見ると、
「計画実施ニ伴フ弊害ハ己ニ度々借地人側ヨリ或ハ文書ヲ以テ或ハ口頭ヲ以テ陳情申上置候趣ニ有之候」
とあり、実際に当地に住まう借地人より文書や口頭で再三再四地主側に苦情申し立てが、地主たちに対してあったことが述べられている。要は苦情主は自分たち(地主一同)ではなく、借地人だとしているのである。その上で、
「我々地主側ニ於テモ亦別紙ノ如キ理由ヲ以テ之カ建設ハ反対仕候」
借地人の苦情はもとより、地主(我々)から見ても別紙に掲げる理由から建設に反対であると述べている。別紙に掲げる理由は後述するが、この地主たち5人の連名による陳情でありながら、5人だけでなくもっと多数の借地人たちによる陳情だと言いたいのである。これは、陳情書に見られるよくあるパターンで、独り(あるいは少数)による「我が儘」ではないということを主張したいがために、大勢をもって背景を述べる便法に過ぎない。さらに続けて、
「貴庁ニ於テモ何卒那辺ノ事情御高察ノ上御同情アル御取扱ニ預度」
と東京府(知事)に対して、泣き落とし的な「お願い」を行っているのである。なぜ、監督官庁である鉄道省でなく、東京府(知事)に対して陳情がなされたかと言えば、明治以来(中央集権国家建設以来)、国民が直接国の機関に陳情を述べることは許されず、必ず、今で言えば都道府県を経由して訴えなければならないからであった。
以上、東京府知事宛に提出された陳情書を見ても、何が問題なのかは見えない。「別紙ノ如キ理由」とある別紙を見なければ、その意味を見出すことは不可能である。では続けて、前回にも示した別紙こと目黒蒲田電鉄社長宛に出された陳情書をもう一度見てみよう。
目黒蒲田電鉄株式会社々長殿
拝啓
今回貴社ニ於テ二子玉川線建設ニ伴ヒ其ノ一部ハ我々ノ地域内ヲ通過セシムルコトニ御計画相成候為居住者一同ヨリハ本年二月以来之カ変更方ニ付種々陳情中ニ有之候処我々地主側ニ於テモ亦左記事由ニ依リ御計画変更方御再考相煩度茲ニ及陳情候
記
甲、現計画線ニ依ルトキハ左ノ如キ障害アリ
一、現在住宅地区ノ風致安静ヲ害シ住宅地トシテノ要素ヲ全壊シ其ノ価値ノ低落ヲ来スコト甚大ナリ
二、通過地区ハ高台ナルヲ以テ道路面ヨリ敷尺ノ深サニ土地ヲ切下建設セサル可カラザルヲ以テ交通ニ危険ヲ及ボシ永遠ニ該地方交通事故ノ原因ヲ作ルコト明カニシテ殊ニ児童通学ニ一大危険ヲ醸成スヘキコトヲ必セリ
三、現計画線中ニハ二三百年以上ヲ経タル古名木由緒アル古祠アリ之ヲ材伐除去スルハ甚シク風紀風致ヲ害ス
四、住宅組合家屋ノ価値ヲ低下シ之ニ依リテ起ル損害ニ対シテハ組合規約上相当面倒ナル問題ヲ惹起スル為借地人ニ非常ナル迷惑ヲ及ホスコトトナル
乙、北方低地迂回線建設ハ左記事由ニヨリ可能ナリ
一、北方低地ハ一体ニ田畑ニシテ何等障害トナルヘキモノナシ
二、北方低地ハ高低全然無ク線路状態モ十分良好ナルヲ以テ何等危険ヲ醸スコトナシ
丙、貴社ニテハ我々所有地通過ノ予定線ヲ以テコレ以外ニナキモノト断言シナガラ事実数回計画ヲ変更セラレシ所ヨリ見ルモ現在ノ設計ハ唯一必須ノモノト認メ難シ
丁、貴社ハ耕地整理組合員ノ会合ニ於テ満場一致貴社提案ヲ賛成シタリト称スルモ我々地主ハ何レモ皆反対ノ意向ヲ有スルヲ以テ貴社ノ声明ニハ尚再考ノ余地アルモノト認ム
内容としては、はじめに陳情全文があり、以下に個別理由として甲~丁と大きな4項目があり、さらに個別にいくつかに分かれる構成をとっている。重要なポイントは、
「其ノ一部ハ我々ノ地域内ヲ通過セシムルコトニ御計画相成候為居住者一同ヨリハ本年二月以来之カ変更方ニ付種々陳情中ニ有」
に示すように、陳情者の地域が二子玉川線計画予定地にひっかかることから、昭和3年(1928年)2月より、計画線変更に関する陳情を繰り返していたことがわかる。この時期は、免許を経てから約2か月程度経過し、工事施行認可申請が出される約2か月前、さらにこの陳情の提出の約4か月前となっている。
- 昭和2年(1927年)12月27日、二子玉川線、免許。
- 昭和3年(1928年)2月頃、計画変更線が地元に示され、陳情合戦が始まる。
- 昭和3年(1928年)4月13日、二子玉川線、工事施行認可申請。併せて計画変更も申請。
- 昭和3年(1928年)6月23日、奥沢地区地主有志、東京府ほかに陳情書提出。
- 昭和3年(1928年)8月29日、二子玉川線、工事施行認可。
ご覧のように、概ね2か月間隔(目黒蒲田電鉄の進捗状況から見れば約4か月間隔)で進捗していることが確認できるが、これは目黒蒲田電鉄から見れば、地元を宥める(あるいは有力者に話をつける)のに必要な期間だったとも言える。では、引き続き、陳情書の内容を確認しよう。本文を終えて、各項目(記 以降)は甲~丁まで分かれており、最初の甲には、
「現計画線ニ依ルトキハ左ノ如キ障害アリ」
とあり、現計画線を見なければ、具体的に何が障害なのかを判断しにくい。よって、この陳情に添付される図を示しながら確認しよう。
二子玉川線の計画変更は、接続駅を奥沢駅から大岡山駅に変更したことが大きなものであるので、この陳情もそれにかかわることかと思ったが、図面を見ればさにあらず、大岡山駅から衾駅(当時、九品仏駅。実際に改名した時には衾駅ではなく、自由ヶ丘駅となった)の経由地に関する陳情であった(だいたいの場所はゼンリンの電子地図で示すとここ)。
図面によれば、全部で4つの計画線が引かれ、陳情者は九品仏川の低地部分に計画線を移動するよう訴えていることがわかる。確かに計画線を見れば、既に住宅地が展開する通称ドイツ村付近よりは、地形的な点からも九品仏川側の方(4つの線のうち、もっとも上側を通るのが陳情線)がいいのではないかと思うが、事情はそんな単純なものではないことは言うまでもない(JR山手線の目黒駅追い上げのバックグラウンド等も同様である)。
図の一部を拡大するとわかるように、上(北)から本陳情変更線、第3次測量線(本計画線)、第2次測量線、第1次測量線となっており、だんだんと計画(測量)線が北上していることがわかる。特に最初の計画線は、今よりも住宅地を多く貫いていることに驚かされるだろう。さて、この図を踏まえて陳情書に示される「障害」とは、最初に
「現在住宅地区ノ風致安静ヲ害シ住宅地トシテノ要素ヲ全壊シ其ノ価値ノ低落ヲ来スコト甚大ナリ」
と、鉄道建設により閑静な住宅地としての環境が破壊されてしまうとある。鉄道建設によって開けた土地であるが、あまりに鉄道に近すぎては意味がない。まったく今日にも通ずる理屈であるが、鉄道不毛地帯の人から見れば、何を贅沢な…という話だろう。続けて、
「通過地区ハ高台ナルヲ以テ道路面ヨリ敷尺ノ深サニ土地ヲ切下建設セサル可カラザルヲ以テ交通ニ危険ヲ及ボシ永遠ニ該地方交通事故ノ原因ヲ作ルコト明カニシテ殊ニ児童通学ニ一大危険ヲ醸成スヘキコトヲ必セリ」
高台の土地の一部を切り下げ(前後が低地のため)ることが危険であり、未来永劫、交通事故の原因を生み出し続け、子供の通学などにも影響を及ぼすという。これも最初の項目と同じように、なかなか共感を得られにくい内容である。続けて、
「現計画線中ニハ二三百年以上ヲ経タル古名木由緒アル古祠アリ之ヲ材伐除去スルハ甚シク風紀風致ヲ害ス」
だいぶネタがなくなってきた感が強くなり、自分たちが数年前に住宅地開発をしたことを忘れてしまったかのような言い分である。これも共感は得られにくい。そして最後に
「住宅組合家屋ノ価値ヲ低下シ之ニ依リテ起ル損害ニ対シテハ組合規約上相当面倒ナル問題ヲ惹起スル為借地人ニ非常ナル迷惑ヲ及ホスコトトナル」
結局は鉄道建設に伴う土地・家屋等の賃料低下の懸念であって、地主のエゴではないかという印象が強く残る内容となる。東京府知事宛の陳情もさることながら、目黒蒲田電鉄社長宛の陳情は具体的な内容を伴うものの、地主のエゴとしか映らないような内容である。気持ちはわからないではないが、目黒蒲田電鉄線開通及び奥沢駅開設からたったの5年しか経過していない時期に、こういう言いぐさでは同情を買おうにも無理があるというものである。
とはいえ、続く大きな項目となる乙では、至極真っ当で当然のことを訴えている。
「北方低地迂回線建設ハ左記事由ニヨリ可能ナリ」
計画図を見れば、確かに九品仏川側(陳情では北方低地。図では村界流レ)の方が、高低差もほとんどなく、衾駅方面からの線形から見ても問題はない。ただし、大岡山駅方面から分岐させる際に工事施工上の困難がありそうな印象は受ける。だが、それ以外は大きな困難はないように見える。この図は陳情者(関係者)の手書きであるので、意図的にそのような記載をしているわけではなく、当時の1万分の1地形図(昭和4年版)を見てもこのことは明らかである。
これを見れば、確かに第3次測量線はもっとも住宅の少ない部分を通過する工夫が見られるが、陳情者が「北方低地迂回線」とする九品仏川北側を通れば、まったく住宅の建ってないところを貫くことができる。よって、陳情書にも
「北方低地ハ一体ニ田畑ニシテ何等障害トナルヘキモノナシ」
及び
「北方低地ハ高低全然無ク線路状態モ十分良好ナルヲ以テ何等危険ヲ醸スコトナシ」
と、まったくそのとおりと首肯する内容が記されている。この後に丙、丁と項目が続くが、これらは特に語るほどの内容ではない(何回も計画変更しているとか、大地主ばかりの耕地整理組合理事の決定など当事者でないのだから認められないという内容)ので、この陳情にある「乙」の部分、なぜ九品仏川(北方低地)側に敷設しないかを検討することで、二子玉川線の計画変更の一端を探ってみよう。
もう一度、当地の1万分の1地形図を示し、ここに町村及び大字の境界を示してみよう。
九品仏川は、陳情添付図には「村界流レ」と記されているように、荏原郡碑衾町(大字衾)と荏原郡玉川村(大字奥沢)の境界線で、奥沢地区の地主が訴える北方低地側への鉄道計画線移動は、つまりは荏原郡玉川村(大字奥沢)から荏原郡碑衾町(大字衾)への移動を意味する。まだ、同じ大字奥沢地内ならともかく、地元にとって厄介な新線建設地を他に移そうというのは、やはり何か意図的なものを感じないわけにはいかない。大字奥沢には建設できるが、大字衾には建設できない。目黒蒲田電鉄にとっての理由がここにあるというわけである。
だんだん、横道に逸れてまいりました(苦笑)。しかし、なぜわざわざ低地部に盛り土し、住宅地を切り取ってまで、住宅地を貫いて大字奥沢の地に敷設するのか。裏を返せば、碑衾町大字衾の地を避けるのか。この事情をわからずして、二子玉川線はこのルートに変更しましたでは納得がいかない。逆にこれを知り得れば、鉄道建設ルートが自然地形説や工事施工費用だけで決定するなど、夢のまた夢であることも確認できよう。よって、多少の横道逸れはご容赦願いたい。
と、言い訳めいたところで、次回(その12)に続く。
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