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2010/08/30

コメント

XSIN II 様
地主の干渉がこうも強かったものとは知りませんでした。昭和4年の陸地測量部の地図で大井町線の工事が自由が丘から九品仏川のところで止まっている理由が分かるような気がします。

追伸
立体交差にするためにはオーバーヘッドを考えると現存のルートが最適ではないかと思います。いくらダイヤがつまっていない昔でも、双方から下り勾配の底にある分岐点は昔から目蒲線はかなりの速度で通過していましたので平面交差は危険極まりありません。平面交差の駅は私の知る限りでは関西では西宮北口、京福電鉄の宝ケ池ぐらいですが、脱線転轍機を設けてあります。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

>立体交差にするためにはオーバーヘッドを考えると現存のルートが最適ではないかと思います。

大井町線のルートは「紆余曲折」というに相応しいほどに変遷著しいですが、ここを平面交叉しようと思えば大岡山駅までの間のどこかを立体化しなければならないので、前後が高台となるこの部分で立体交叉化するのが「適」です。
とはいえ、絶対にこのルートでなければならないかと言えばそういうものではなく、陳情者のルートもけっして荒唐無稽のものとは言い難いかと考えますね。

地図の中の目蒲重役武田氏邸とありますが、竹田政智氏のことでしょうか。図面に入れたのが陳情する側になにか意図があったのでしょうか。同氏は昭和4年に他界されていますので他に武田姓の重役が居られたのでしょうか?

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

>地図の中の目蒲重役武田氏邸とありますが、竹田政智氏のことでしょうか。

タケダ違いですが、大いにあり得るかと思います。東京横浜電鉄沿革史に掲載されている「はず」の重役一覧には「武田姓」は見えないので、可能性は高いかな、と(陳情は昭和3年ですのでまだ竹田氏は存命のはず)。当時の名士録などを見れば居住地で判断可能とも思います。

>図面に入れたのが陳情する側になにか意図があったのでしょうか。

私も部分拡大図を作成する際、ここが見えるように配置しました。無論、陳情者側にも意図がなければおかしいでしょう。
要するに、第一期ルートには武田氏という重役の家があったから避けたのだ、という公私混同をアピールしたかったと考えます。つまり、こういう理由で選定ルートを変えるのであれば、陳情者の言い分でも選定ルートは変えられるはずである、と。

コメント有り難う御座います。我々を悩ますのは(たけだ)姓です。便宜上小さい竹田、大きい武田と呼んでいます。
陳情書に記載されている住宅の位置ですが、豪腕をもって鳴る五島慶太氏はこんな当てこすりは歯牙に掛けないでしょう。

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