「「郡分合ニ関スル府県地図」(東京府)に見る東京の繁華地」に示した東京府の範囲は、郡部も含めて今日のいわゆる東京23区の範囲よりも狭い。明治初期の混乱期を過ぎて、明治11年(1878年)7月22日制定の郡区町村編制法によって、巨大な多摩郡は4つ(東西南北)に分割され、東京府には東多摩郡(明治29年(1896年)4月1日に南豊島郡と合併し豊多摩郡となる)が所属、残る南多摩郡、西多摩郡、北多摩郡は神奈川県に属した。
というわけで、「郡分合ニ関スル府県地図」の神奈川県版である。この頃の神奈川県は、おおよそ北半分が武蔵国の一部、南半分が相模国で構成されており、南・西・北の3つの多摩郡(いわゆる三多摩という呼称はここに由来)は神奈川県に属していることが確認できよう。ちなみにまだ市はなく、すべてが郡に属している。
現在の横浜市、川崎市あたりを中心に拡大すると、武蔵・相模の国境が現在の東京都と神奈川県との境に位置し、現 町田市の南端からの国境は横浜市の中に埋没してしまっていることが確認できる。興味深いのは、最近(でもないか)誕生した横浜市都筑区の区役所の場所と、本図に示される郡役所の場所(都田)があまり変わらない位置にあるということ。時代は変われど、そうそう行政中心地は変わりにくいということか…。
まだまだ気になることは多いが、今回はここまで。8月中には新奥沢線関連ネタを終わらせるつもりが終わらず、もう少し続きそうなため、お茶を濁してみた。あ、そうそう。神奈川県に属していたいわゆる三多摩が、東京府に管轄替えとなったのは明治26年(1893年)4月1日であった。
武蔵小杉
川崎市にある駅ですがその南武線という名前から武蔵に属していることがわかります。
港南区
鎌倉郡と久良岐郡との境界線が港南区の真ん中を横断している珍しい例です。港南歴史協議会のサイトで詳しい地図が掲載されています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/08/31 07:51