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2010/02/18

コメント

東洗足の駅の入り口の手前の左側にみすずと言う食品か果物を売っていた店がありましたが、この主人は元洗足の銀杏並木通りで明治屋と言う食品店を経営していました。廃止が決定してから反対のビラを通勤客に配っていたのが目に残っています。その後どこに移転したか知りません。お気の毒ですが世の流れには逆らえませんね。

このシリーズは本当に、嬉しかったし、また、知らなかったことがいろいろあり、自分の生まれ故郷に対する認識を新たにいたしました。

これからのまた新たなる地域歴史研究シリーズ、楽しみにしております。

重ねて。心からの感謝をいたします。
本当に本当にありがとうございました!!

木造院電車両マニア様、りっこ様、コメントありがとうございます。

駅が開設して以降の歴史を大幅に端折ってしまいましたが、これまでにもふれてきた部分が多いので省略しました。また、他への展開のために意図的に記さなかったものもあります。
特に、公文書館で得た知見は大きく、一年ほど前に記述した慶大グラウンド前駅に関することも、光明寺駅との絡みも含めての話題、洗足田園都市の話題、また池上電気鉄道の話題など駅の改廃の流れなども含め、おおくりする予定でおります。

今後ともよろしくお願いいたします。

XWIN II様
洗足田園都市の平面図の東側にうまく噛み合ない所がありますので、興味ある記事を期待しております。特に延山通りのところがうまく噛み合いません。都立図書館の地図が目下再生中ですので見ることができません。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

「特に延山通りのところがうまく噛み合いません」←このあたりは小学校建設用地もあったりして、紆余曲折を経た場所(のよう)です。また、耕地整理組合との調整によって、一部区画し直された所もあります。図がなくてうまく伝えきれませんが、このあたりは本編(洗足田園都市編)で書き記す予定としておりますので、よろしくお願いいたします。

XWIN II様
洗足田園都市
本格的な取り組みをして頂くことをお伺いして楽しみにしています。何分にも市販の地図が不正確ですので割り出しに苦労します。

XWIN II様
洗足田園都市追加
旗の台6丁目の北側の小山7丁目に接している住民の方々は小山7丁目の方々と俗に言う向こう三軒両隣のおつきあいや住民に対する行政サービスと郵便物の配達をどのようにしているのか興味があります。鰻の寝床のような南北に通路が無い住宅街はあまり例がありません。第二延山小学校からの帰り道にこの道路を通ると山屋坂まで左にな抜けるッ道が無いのを不思議に思った記憶があります。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

「旗の台6丁目の北側の小山7丁目に接している」←旗の台六丁目5番のことかと思いますが、洗足田園都市第一期の南側にあたるこの部分は、仰せの通り、一般的な戸建て住宅が建ち並ぶ住宅地として非常に大きな街区ですね。住居表示の「号」も60号以上あったような…。まさに田園都市株式会社の分譲区画がそのまま現在の不便さ(旗の台六丁目12番から小山七丁目12番に行くのに、でかい旗の台六丁目5番を半周しないとならない)につながっています。

XWIN II 様
コメント有り難う御座います。戦争中に裏の家と家との間の垣根に連絡扉を設けて火災の時の緊急脱出路を設けたことを思い出しました。新米の宅急便のお兄さん泣かせな住居表示ですね。

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