旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編1
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編2
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編3
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編4
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編5
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編6
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編7
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編8
これまでの総括編では、現在の旗の台駅(=旗ヶ岡駅と東洗足)周辺の歴史から説き起こし、東急池上線の前身となる池上電気鉄道が計画した路線の変遷を追い、この地域にどういった形で計画線及び駅の計画が変わってきたかを見てきた。その変遷は自社の都合だけではなく、田園都市株式会社や目黒蒲田電鉄とのかかわりを抜きにして語ることができないことも見てきた。それを受け、今回はこれまでにも他記事でふれてきた、旗ヶ岡駅並びに東洗足駅の開設してからの歴史を総括する。
旗ヶ岡駅が昭和2年(1927年)8月28日に開業するまでに、最終的にこの地の耕地整理事業を行っていた平塚耕地整理組合の意向を受け、池上電気鉄道の計画路線は南側に移動し、同耕地整理組合の施行地内に駅を2か所設けることとなった。当初、旗ヶ岡駅予定地付近の駅名は平塚村(平塚町→荏原町)大字中延に属したことから「中延」駅を予定していたが、この変更によって「中延」駅という名は今日の荏原中延駅に譲り、旗岡八幡神社に由来する「旗ヶ岡」駅とした。なぜ旗ヶ岡としたのかは、池上電気鉄道の路線案内図に旗岡八幡神社が記載されていることから、名所・旧蹟の類からの命名とできるが、ここにも目黒蒲田電鉄との対立構図が見えている。というのは、そもそも旗岡八幡神社の最寄駅は今日の東急大井町線荏原町駅、当時の目黒蒲田電鉄大井線の駅である。計画段階において、荏原町駅は「法蓮寺前」と仮称されており、この寺に隣接する旗岡八幡神社から名を採ることで、この地への最寄り駅はこちらだと主張したかったのだと推測できるからである。このことは、高柳体制の後を受けた池上電気鉄道が雪ヶ谷駅~桐ヶ谷間を開業させた際の駅名を見ても、そう思わせるものがある。
- 石川(いしかわ。荏原郡池上町大字雪ヶ谷字石川に由来)
- 洗足池(せんぞくいけ。最寄りの洗足(千束)池に由来)
- 長原(ながはら。荏原郡馬込村字長原に由来)
- 旗ヶ岡(はたがおか。旗岡八幡神社に由来)
- 荏原中延(えばらなかのぶ。荏原郡荏原町大字中延に由来)
- 戸越銀座(とごしぎんざ。荏原郡荏原町大字戸越に由来)
- 桐ヶ谷(きりがや。荏原郡大崎町大字桐ヶ谷に由来)
石川駅は、字名からで呑川の別名、あるいは隣接する大字石川からではない。駅の場所は大字雪ヶ谷だが、既に雪ヶ谷駅はあることから大字に続く字名からの命名である。だが、石川では紛らわしいとの理由から開設後、一年を経ずして石川台と改称される。
洗足池駅は、池上電気鉄道初期からここを観光地として打ち出す予定であったことから、初期計画時から駅の設置が予定され、駅名も洗足池(あるいは洗足池前)と固定されていた。よって、町村名の類はまったく採用予定でなかった。
長原駅は、町村レベルでは馬込村に属していたが、歴史的に馬込村千束として飛び地であり馬込本村とは住民感情等も異なっていた。しかも当時は、優良住宅地として区画整理も進み、新興住宅地の住民流入もあって、馬込村というよりは千束としての住民感情が強かった。馬込村最初の鉄道敷設であり、駅開設でありながら馬込駅としなかったのはこういう背景があったからと思われる(もう一つは、省線品鶴線=現JR横須賀線等が馬込本村中央を横断して建設される予定もあったか?)。
また、馬込村は明治22年(1889年)の町村合併で単独で一村を形成したため、大字がない(原則として大字は合併前の村々である)。よって、村名にいきなり字名が続く形となるので、大字命名ルールから考えれば、大字のない馬込村なので字名の長原が採用されたと見ることもできる。どちらにしても、当地域は歴史的には馬込村なのだが、いち早く鉄道開設の恩恵や田園都市の発展によって、まったく別次元の世界になっており、これが馬込駅としなかった理由と考えていいだろう。なお、池上電気鉄道の計画時は馬込駅とする予定だった。
旗ヶ岡駅は先にふれたので、続いて荏原中延駅。これも以前の総括編でふれたように、中延駅と予定していたものを目黒蒲田電鉄によって先に中延駅を正式駅名として取られてしまったため、荏原町大字中延から荏原中延とした。
戸越銀座駅は、これも荏原中延駅と同じく、もとは戸越駅が仮の駅名として予定されていた。しかし、これも目黒蒲田電鉄によって先に戸越駅(現在の下神明駅)が取られてしまい、やむなく商店街名である戸越銀座駅とした。
桐ヶ谷駅は、ずばり大字名からである。
以上、旗ヶ岡駅以外の駅名について眺めてみたが、目黒蒲田電鉄に先を越された2駅についても考慮に入れれば、原則として大字名(大字がない、または既採用の場合は字名)が採用されていることがわかる。旗ヶ岡駅の場所は、荏原郡荏原町大字中延字四段田(あるいは四反田)であり、さすがに四段田(四反田)とするのは、省線五反田駅と接続しようとする中では紛らわしくて、選択肢にも入らなかったとなるだろう。そして、旗岡八幡神社に由来させることで、目黒蒲田電鉄が法蓮寺前とした駅と対抗しようというわけである。もっとも、目黒蒲田電鉄は法蓮寺前をやめ、広域名となるできたてほやほやの荏原町を駅名として採用したのであるが。
目黒蒲田電鉄大井線に遅れること2か月弱。池上電気鉄道は雪ヶ谷~桐ヶ谷間を部分開業させ、旗ヶ岡駅が予定駅名どおり採用されたのである。しかし、山手線の五反田駅まではまだ遠い桐ヶ谷駅までの部分開業(さらに大崎広小路駅まで1か月ほどで延長されたが、五反田駅までは300メートル以上離れていた)だったため、ほとんど乗降客はなく、五反田駅までの接続を待たねばならなかった。
一方、東洗足駅はこちらも池上電気鉄道同様に紆余曲折があった。ここでは簡単にふれるにとどめるが、田園都市株式会社の鉄道部門と言うべき荏原電気鉄道株式会社による軽便鉄道法による最初の特許取得では、大井町駅を起点とする点は同じだが、洗足池の南側を通るなど田園都市株式会社の買収地とは離れていたばかりか、新宿方面まで延伸計画を持つなど、あまり適切な計画路線ではなかった。このためか、地方鉄道法による免許の申請時に従来計画線をすべて取り下げ、まったく新たな免許線として、大井町から千束、大岡山を経て旭野に通ずる新規計画線を申請し、免許を受けることに成功する。この免許申請時点で、荏原電気鉄道株式会社は田園都市株式会社に免許を無償譲渡し、田園都市株式会社が鉄道敷設計画まで併せ持つような流れが計画され、それが順調に推移したのだった。
と、長くなってきたので今回はここまで。予定としては、次回で総括編を完結させるつもりである。
XWIN II様
情報有り難う御座いました。
戸越銀座ですが商店街に銀座の名前を付けたはしりであると聞いていましたが、電車が開通する以前から商店街だったのでしょうか?昔は中原街道の角から大崎近く迄長い商店街でした。昔程ではありませんが都営地下鉄への乗り換え通路であることも手伝って結構元気のある方です。これも五反田駅のバリアーフリー工事の遅れのお陰でしょうか?
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/17 11:29
私は、現在武蔵野線沿線に居住していますが、このJR線。元は貨物専用線だっただけあり、他の私鉄との乗り換えが、よろしくありません。西武線秋津駅には、武蔵野線新秋津から数百m歩かねばなりませんし、同じく東武線新越谷駅にも、わずかな距離ですが、南越谷駅はターミナルになっていない状態。
また、同、新小平駅と西武線青梅街道の駅も、500m離れています。
そんなふうに考えると、改めて「旗の台駅」の統合って、ある意味英断だったのだなと。それと、大崎広小路から、五反田までわずか300m。秋津と新秋津間より短いけど、ここを何とかして困難な工事を完遂したのは、池上電気鉄道の、五反田よりのさらなる延伸の夢と執念を見るような気が改めてして、ちょっと感動してしまいました。
投稿情報: りっこ | 2010/02/17 16:40
ウィキペディアを見てきたら、
「駅からすぐの戸越銀座商店街に由来する。所在地は「平塚」であることから「平塚駅」になる予定だったが、既に同名の駅が東海道本線にあったため知名度の高い「戸越銀座」が選ばれた。」
ってありましたが……本当でしょうか?
地名的には「荏原郡荏原町大字戸越」なんですよね?
「平塚駅」になる予定だったなんて話、私てきには知りませんでした。
投稿情報: りっこ | 2010/02/17 22:48
まとめてコメントいたします。
「戸越銀座ですが商店街に銀座の名前を付けたはしりであると聞いていましたが~」←はしりの一つですが、元祖(最初)ではありません。平塚村(→平塚町→荏原町→荏原区)の中だけでも昭和初期には3銀座あり、小山銀座、戸越銀座、蛇窪銀座の中で、駅のできた順からして小山銀座が最初かと思いますね。商店街は、商店会的組織の誕生は別にして大正末期には武蔵小山駅周辺にはできていました。
「「平塚駅」になる予定だったなんて話」←この話は事実です。池上電鉄の計画図面にも書かれており、荏原郡平塚村に由来するのですが、現在の戸越銀座駅の場所でなく、線路も現在のものの一回前の計画時のもので、その後、現在の路線計画になって「戸越」駅と予定駅名が変更されたのです。本件はそれほどでもありませんが、Wikipediaのいい加減さは、当blogでも扱っていますが、「長原駅」の項目なんかひどいものです。典拠元が悪いのか、引用者が悪いのかは掴みかねますが。
投稿情報: XWIN II | 2010/02/18 06:44