これまでもWikipedia日本語版の記述のいい加減さについては、何度かふれてきているが、旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史をまとめるにあたって、東急大井町線及び東急池上線各駅についての誤りについて確認しておきたいと思う。というのも、ご意見としてWikipediaの内容と違う的なご意見を頂戴したことから(公開しないでほしいというコメントだったので未公開としているが、それでは回答しにくいのでこういう記事を作成することにした)、何を誤りとするのかを明確にすることで、本Blogの記載内容の補完としていただきたいとの想いからである。では、始点と終点を除く各駅について、まずは東急池上線から見ていこう。なお、Wikipedia日本語版の内容は、すべて2010年2月19日午前7時時点で確認したものを前提としている。
大崎広小路駅
記載の致命的誤りはない。
戸越銀座駅
「所在地は「平塚」であることから「平塚駅」になる予定だったが、既に同名の駅が東海道本線にあったため知名度の高い「戸越銀座」が選ばれた」←駅開業当時(昭和2年=1927年)、戸越銀座はまだ知名度が高くはなかった。地元の要望による命名である。なお、平塚駅という仮名は、現在路線になる以前の計画時のもので、直前の仮駅名は「戸越駅」である。よって誤った記述となる。
荏原中延駅
「荏原地区と中延地区のほぼ中間に所在することに由来する」←完全な誤り。駅開設時は、今日に言う荏原地区と中延地区という呼び方はない。荏原は広域地名であり、昭和16年(1941年)の町名及び区域変更によって、初めて荏原地区と呼ぶべき地域が誕生した。もっともらしい後付け説である。
「当時、池上電気鉄道は当駅を「中延駅」として設置する予定だったが、目黒蒲田電鉄が先に荏原町駅と中延駅を開業させたため、それに対抗して「荏原中延駅」にしたというものである」←後付け説よりは良いが、荏原中延は大井町線の二駅名を拝借でなく、荏原町大字中延による。
旗の台駅
「地名も荏原郡荏原町大字中延字旗ヶ岡」←以前にも当blogで記したが、大字中延の字に旗ヶ岡というものはない。旗ヶ岡駅の位置は字四段田(四反田)、東洗足駅の位置は字清水頭、旗の台駅の位置も東京市合併前までは荏原郡荏原町大字中延字清水頭。よって、完全な誤り。
長原駅
この項は、根拠に乏しいおかしな説が蔓延している。なので長くなるが、一つ一つ指摘していくと、
「地名(荏原郡馬込村字長原)に由来すると言われているが、文献によってはこの近辺の地名は「長原」ではなく「小池(荏原郡馬込村字小池)」と書かれており、正式なところはよく分かっていない」←文献によっては~とある文献が示されていないが(この項は全般的にこうなっている)、明治初期の地租改正時から馬込村字長原である。長原駅開設後、東京市合併前のわずかな期間だが、耕地整理を経て馬込町大字南千束の一部となる。また、字小池は馬込村ではなく、隣接する池上村大字池上の字であり、さらに馬込村字長原に隣接するのは池上村大字池上字小池台である(字小池は字小池台のさらに南)。以上からわかるように、ヘンな文献を無批判で参照した結果だと思われる(あるいは引用者に難があるか)。
「池上電気鉄道としては当駅を「荏原駅」、荏原中延駅を「中延駅」として開業させる予定であった」←そのような事実はない。長原駅近辺において現在の東急池上線のような線形になったのは、計画段階でも大正8年以降だが、長原駅付近の仮駅名は「馬込駅」であった。そして開業前までに仮駅名が「長原駅」となったが、一度も荏原駅などとはなっていない。また、荏原中延駅は、計画線の線形が3度変わった最後の位置に初めてできたもので、当Blogでも記したようにもともと「中延駅」候補だったものを「旗ヶ岡駅」とし、新たな駅として予定されたものに「中延駅」という名を譲ったものである。
「ライバル会社である目黒蒲田電鉄の専務取締役であった五島慶太は既に荏原・中延地区一帯の地盤や権力を握っており、池上電気鉄道より先に現・大井町線の荏原町駅と中延駅を開業させた」←根拠不明。「荏原・中延地区一帯の地盤や権力を握っており」とあるが、何をもって権力を握るという表現とするかによって適とも不適ともなるが、少なくとも平塚耕地整理組合においてはそのような事実は確認できない。本当に権力とやらを握っていたのなら、わざわざ大井町線の計画を南側にずらすことはしないはずである。根拠のない思い込みといった印象が強い。また、荏原町駅という名については、仮駅名として「法蓮寺前駅」としていたが、姉妹会社の東京横浜電鉄に妙蓮寺前駅と類似のものがあったことや、開業直前に荏原郡平塚町から荏原郡荏原町に改名したこともあって、ぎりぎりの段階で荏原町駅という名を採用したのである。なお、先に開業したのは工事の進捗状況による(池上電気鉄道は、複線化工事と五反田駅乗り入れ方法の変更などもあって、桐ヶ谷駅までの部分開業とせざるを得なかった)もので、けっして五島慶太氏の妨害等ではなかった(多少はあったのかもしれないが)。
「この事態に慌てた池上電気鉄道はこれに対抗して「中延駅」になる予定だった駅を荏原中延駅と名付けたものの、沿線が貧弱で赤字経営な上に周辺は既に目黒蒲田電鉄に掌握された後で、しかも互いの駅の場所も近隣だったために駅名が紛らわしくなり、当駅を「荏原駅」とすることは不可能な状況であった」←これまでの流れにこれがくっつくと、ここまで創作するのかと驚きを禁じ得ない。この手のトンデモ本があるのだろうか。年代がでたらめな上、沿線が貧弱とする根拠も不明。何をもって掌握されたのかも不明。荏原駅にこだわる理由も不明(そもそも荏原地区という意味合いも後代のもの←中延地区と対比させている点から)。
「しかし、荏原地区を通るからには中核となる「荏原駅」はどうしても設置したいと考えていた池上電気鉄道では、この一帯がかつて「荏原(えはら)」と読まれて、地図や歴史書によっては「荏原」ではなく「永原」と表記されていた点に着目して、その「永原」の文字を読みやすく「長原」に変更して読みを「ながはら」にし、駅名の重複を避けた形で荏原地区に駅を設置したというのが「重複回避説」である」←これまでふれたように、根拠のない妄想の混じる誤った重複回避説ということが確認できるだろう。そんなことよりも、私なら仮駅名が「馬込駅」から「長原駅」に変更になった理由の方が気になる。池上電気鉄道の駅命名方法からすると、名所・旧蹟の類を意識するものを除くと、ほとんどが町村名、既に駅名となっているものがあればその大字名を採るのが通例で、それすら困難だった場合は別の名前を探してくるという流れで、Wikipediaに記載されているような妄想で命名されたものなど一つもない。長原は単に馬込村の字名(なお、馬込村に大字が存在しなかったのは、明治22年に大規模な町村合併が行われた際、単独村で形成されたため)でしかないのである。
「他の説としては、沿道である中原街道の「中原」がいつしか「長原」に訛った説や、「中原」と称する駅が既に鉄道省長崎本線中原駅(1891年開業)や南武鉄道武蔵中原駅(1927年3 月開業)に存在して重複するため、あえて「中原」を「長原」に変更したという説がある」←説を自由に述べるのは構わないが、妄想でない明確な根拠がほしいところ。池上電気鉄道が駅名をつける際、あえて中原を長原とする理由などなく(長原という地名が中原に由来する、という地名由来の話ならわからないでもない)、まったくのでたらめだとなるだろう。適当な本を無批判で読むと、こうもすごいことを書いてしまう人がいるのかとこの項を眺めてびっくりしてしまった(苦笑)。
洗足池駅
記載の致命的誤りはない。
石川台駅
「駅の開業当時の所在地名である荏原郡池上村大字雪ヶ谷字石川に由来するものである」←惜しい! 駅開業時は池上村ではなく、池上町だった(大正15年町制施行)。
わずかな誤りはあるが、それ以外の由来についてはしっかり書けており、優れている。長原駅の項もこのくらいのレベルだとありがたい。
雪が谷大塚駅
「「雪ヶ谷」駅と「調布大塚」駅を統合して開業したため、二駅の駅名から採られた」←統合したのは事実だが、駅名改称は年表にもあるように10年以上を経ており、調布大塚駅よりというよりは調布大塚町に由来するとした方が適切。
これ以外は、石川台駅と同様、よく書けている。
御嶽山駅
記載の致命的誤りはない。
久が原駅
記載の致命的誤りはない。
千鳥町駅
「所在地である「千鳥」の地名は近隣にある千鳥窪貝塚遺跡に由来する」←誤り。東京市大森区調布千鳥町に由来。なお、調布千鳥町の名は、地元の地主による要請を受けてのもの。千鳥窪(千鳥久保)は、荏原郡調布村(のちに東調布町)大字嶺の字名で、それが遺跡名として採用されただけで遺跡に由来するのではない。
池上駅
記載の致命的誤りはない。が、池上という地名の由来でなく、なぜ採用されたのかという記述がほしかった。
蓮沼駅
記載の致命的誤りはない。が、蓮沼という地名の由来でなく、なぜ採用されたのかという記述がほしかった。
以上、Wikipedia日本語版の誤りについて、駅名の由来に関してのみ記述した。正しいものもあれば誤ったものもあるのは、Wikipediaの性格上仕方のないところであるが、そもそもWikipediaが悪いのでなく、これを記述した人も悪いわけではなく(意図的に偽情報を流すのは別)、無批判でこれを鵜呑みにしてしまう行為が悪いのである。特に、長原駅に関しての記述はすさまじいが、これとてWikipediaに書いた人も何かの文献を一所懸命引用したまでで悪意はないだろう。ただ、いかんせん、引用するだけの知識・見識が足りなかったと言うだけだ。
というわけで今回はここまで。次回は東急大井町線編をおおくりする予定である。
そうでしたか。
私も、長原の項目を読んで、変だなと、ずっと思っておりました。
ウィキペディア、書きなおしてもらいたいものです。余りにも違うんですものね。
投稿情報: りっこ | 2010/02/19 09:23
WIKIPEDIAはついつい鵜呑みにしてしまいますが、大変参考になりました。軽い気持ちで喋ったことが後で実しやかに定説となった経験があります。意図的に流された情報が本物になったこともあります。実害はありませんでしたが物事は検証が必要ですね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/19 16:38
コメントありがとうございます。
Wikipedia(日本語版)は、暇つぶしには使えますが、資料調査には参照するのも憚られるものが多いですね。意図的、悪意のある記述もそれなりにありますから。
私は辞書、辞典の類のものは、そこに調べる内容だけが記載されていればいいものだとは思っておらず、編纂者の意図が入ってこそ、だと考えています。要は取捨選択が適切になされ、編集思想というものがあってしかるべきであると。
なので、Wikipediaのように誰もが好き勝手に記事を追加できるという仕掛けは、信用できるできないの問題以前に、散文・乱文が野放図状態になるところに難がある。中には、適切なものがあるのも確かですが、悪貨が良貨を駆逐すると申しましょうか…。
Wikipediaを充実させることがみんなの役に立つと本気で考えている人もそれなりにいらっしゃるようですが、考え方(思想)の違いで、私はゴシップが蔓延する温床くらいにしか思えません。最低でも、誰が執筆したのか責任を明快にしていただきたいものですね(本名を出せ、という意味ではありません)。
投稿情報: XWIN II | 2010/02/20 08:22
表題と関係ない話題で恐縮ですがこんな記事を見つけました。
■ <東京・大崎>象が大暴走
昭和13年1/19午後9時、品川区大崎広小路で武蔵小山からやって来た逆立ちが得意な木下サーカスの牝象のマカニー(6)が歩いている途中、ロータリーの池上線ガードで電車の渡る音に驚き、道を逆走して逃げ出した。マカニーは5尺(1メートル51センチ)、300貫(1.1トン)の小柄な象だったが、ガラス屋の小僧の自転車がマカニーに足を引っ掛けられ横転、ガラスの割れる音にマカニーはますます興奮してパオーと奇声を発して小僧を襲おうとした。しかし野次馬や円タクのヘッドライトにマカニーはひるみ、五反田2-329の煎餅屋吾妻屋の横の幅1間の路地に突進、折しも煎餅を焼いていた女たちは突然の象の出現に呆然とし、路地にいた子供3人は逃げ出した。マカニーは象の浅知恵でビスケットにつられ、午後12時にようやく通りに出てきた。マカニーは無事に1/20午前1時には大崎駅に着いた。
今もですが大崎広小路のガードを渡る音はかなり響きますよね。
投稿情報: 長原在住 | 2010/02/24 13:54
長原在住の方
面白い記事有り難う御座います。大崎は貨物駅としては大きい方で周りに大きな通運業者が店を構えていました。木下サーカスは小生が小学校高学年であった当時は大きな娯楽施設でした。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/24 19:38
長原在住様、コメントありがとうございます&興味深い話題をご提供いただき、感謝申し上げます。
大崎広小路~五反田間の高架部分については、池上電気鉄道が工事施工中に当局に対し、「工事方法書一部変更認可申請書」をいくつか提出していますが、その中の一つに「高架鉄橋を鉄筋混疑土スラブ橋に変更。理由は電車の運転に伴う騒音軽減と将来の維持費削減のため」というようなものがあります。当時から騒音について、近隣からそれなりの申し出があったことを予想させるものですが、それでもマカニーちゃんが驚くところを見るとうるさいのは変わらないってことですね。
投稿情報: XWIN II | 2010/02/25 08:00
皆さんもう一つ池上線関連の記事を見つけました。XWIN II 様の受け売りで恐縮ですが確かこの前年の昭和9年に池上電気鉄道は目黒蒲田電鉄に統合されたと記憶しております。故に記事にも目蒲電鉄池上線と記載されております。またこの事件が発生したときはまだ新奥沢線が走っていた時期と考えると何となく感無量です。
■ <東京>池上線で毒入りドラ焼き
昭和10年3/30午後1時、目蒲電鉄池上線の五反田発蒲田行きの列車が池上駅を通過してすぐ、網棚に白い包装紙が置き忘れてあるのが見つけられ、中身はドラ焼き6個だった。転轍手の渡辺美実(32)が貰い、午後5時に運転手の依田利政(33)、車掌の安田進吉(27)、踏切番の関山留吉(46)も食べたところ全員が苦しみだした。ドラ焼きには猫いらずが入っていたのである。さらに3/30午前12時37分にも蒲田発五反田行きの122号列車が五反田駅に着いた際に、座席に鼠色の風呂敷が置き忘れてあり、これにもドラ焼き10個が入っていた。3/31午後、捨てようとしたところ、大岡山駅前の運送店人夫の安喰与蔵(39)が「もったいない」と1つ食べたが、「味がおかしい」ともう1つ食べて苦しみだした。餡から青い炎が出ており、これも猫いらずが入っていた。
昔からこの手の事件はあったのですね。
投稿情報: 長原在住 | 2010/02/25 13:42
長原在住者様
いつの世も根暗らな人間がいるもので、油断も隙もありません。猫いらずは燐ですので一旦血液に入ると抜くことができません。昔はこんな危険なものもの市販されていました。大岡山駅には貨車専門のホームがあり何軒か駅出し専門の運送店がありました。貨車は菊名経由で国鉄に連絡していました。駅出しなどと言う言葉も死語となりましたね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/25 19:44