前回の最後で各々の各駅毎の歴史をまとめていくとしたが、もう一回猶予をいただき、今回は昭和16年(1941年)4月1日に当地域が、町名変更及び町会(町内会)境界変更が実施される直前の町会(町内会)境界を示すことにする(端的に言えば、作図したものの再利用をもう一回行おうということである)。
比較のため、昭和16年(1941年)4月1日実施の町名変更時の図もあわせて示す。
基本的にこの町界が町会(町内会)の境界と一致しているので、いかに地方自治(今日の概念とやや異なるが基本は同じ)の基本単位が大きく再編成されたかがわかるだろう。また、「洗足」ブランドが大きな影響を当地域にも及ぼしているかはもちろん、「旗ヶ岡」という名前も本来の場所とは関係のない旗ヶ岡駅北側に展開されていることも興味深い。これら町会は、大正末期から昭和初期に流入してきた新興住民に、旧来の地元の方々とで構成されていたが、圧倒的に数的に優位に立つ新興住民がどれほどの影響を及ぼしたかはわからないが、まったく影響を与えないと言うことはないだろう。そういう視点でこの図を見れば、商店街が形成されている辺りが分離して小さな町会を作っていることも理由が見えてくる。
といったところで、今回はここまで。今週は仕事が多忙モードに入るので、当Blogは更新してもあっさりしたものになるかもしれません(といっておきながら毎日濃密更新したりするかもですが)。
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