今回は、現在の東京都杉並区にあたる東京府豊多摩郡杉並町(大正15年=1926年6月1日に村制から町制に移行)の大字・小字名が列挙されている地図を眺めながら、あれこれ語っていこうという感じで進めていく。
昭和初期の地図なので、字は右から左に読み、右上に見える「町方野」とあるのは「野方町」と読む。では、この図に見える地名を拾ってみよう。まずは大字名から。
- 高円寺
- 馬橋
- 阿佐ヶ谷
- 天沼
- 田端
- 成宗
以上、6大字。この6大字は明治22年(1889年)に市制町村制が施行された際、6つの村が合併して杉並村となったが、合併前の6村がそのまま6大字となったもので、江戸期以前よりの名称を継承している。高円寺、阿佐ヶ谷は現JR中央線の駅名にも採用されたこともあって、現在までその名が町名として生き続けている。他に天沼が残っているが、一方で公式には失われたものも3つある。このうち、田端と成宗は現在の成田東、成田西に継承されたいわゆる合成地名で、田端の方は杉並区成立時に「田端→田町」と置き換えられ東田町、西田町となったものに、成宗がくっついた結果となる。そして馬橋は、現在も小学校名や公園名、交差点名など地域に多く残っているものの、町名としては住居表示の際、阿佐ヶ谷と高円寺の浸食を受け消滅した。
では、続いて各大字に属した小字名を列挙する。最初は大字高円寺から。
- 東小沢
- 中小沢
- 西小沢
- 八反目
- 西山谷
- 中山谷
- 東山谷
- 下屋敷
- 谷中
- 東原
- 北原
- 中島
- 宮下
- 西原
こういっては何だが、全般的に小字名は引き継がれていないものがほとんど。唐突に明治初期の地租改正時に安易に付けられたものもあるが、なかなか地名淘汰の中では生き残るのが難しいということか(例外は後述)。続いて大字馬橋。
- 往還南
- 西原
- 本村
- 内手
- 原
続いて大字阿佐ヶ谷。
- 小山
- 東原
- 西原
- 原日向
- 松山
- 本村
- 西本村
- 西向
- 谷戸山
- 杉並
- 東向
- 清水
- 東本村
と、ここで注目すべき小字名が見える。杉並である。現在、杉並区役所のあるあたりは、この時代も杉並町役場のあったところで(図中、丸のある箇所)、青梅街道を挟んだ反対側(大字成宗側)にも東杉並、西杉並と見えるように、小字名の由来は青梅街道に植えられていた杉並木にある。6村を合併した際の新村名として、この杉並が採用されたわけである。この理由は、6村の中で圧倒的にこの地域を代表するような村がなかったことに尽きるが、聞こえのいい、通りのいい名称を採用しようという表れでもあったろう。(さらに杉並区となった際も、杉並町の他、和田堀町、井荻町、高井戸町と被合併町があったが、この名が採用されたということも同じような意味合いがあったと見込まれる。)
続いて大字天沼。
- 中谷戸
- 四面道
- 小谷戸
- 山下
- 宝光坊
- 本村
- 東原
- 割間
この中では、道路交通情報でおなじみの四面道が今も残る有名な名だ(交差点名として)。現在は青梅街道と環八通りの交差点だが、往時も環八通りはなかったが、交通の要衝であった。
続いて大字田端。
- 関口
- 中通
- 日性寺
- 谷戸
- 大ヶ谷戸
- 本村
- 高野ヶ谷戸
大字田端は飛び地となっていて、大字成宗が割り込んでおり、杉並区成立時に東側が東田町、西側が西田町となった。大字名はもちろん、現在まで残っている小字名もない。
続いて大字成宗。
- 東杉並
- 西杉並
- 屋倉
- 天王前
- 台原
- 白幡
- 原
- 道角
- 尾崎
先にふれたように青梅街道に面して区名となった東杉並、西杉並があるが、それ以外は残っているものはなさそうである。
といったところで、今回はここまで。
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