前回、前々回、洗足田園都市エリアを大正中期の逓信省地図で確認してきたわけだが、現在の東京都目黒区にあたる荏原郡碑衾村エリア、同じく東京都品川区にあたる荏原郡平塚村エリアをとり上げたので、残るは一つ。東京都大田区にあたる荏原郡馬込村(千束)エリアを以下に示そう。
荏原郡平塚村及び荏原郡碑衾村とは違って、かなり狭い範囲であることがわかる。通称田無街道(現在の環七通りに相当)から碑衾村に隣接するエリアで、3898番地だけ買収できなかった。ここだけ買収できなかった理由は不明だが(上物があったわけではない)、この3898番地に隣接するように線路が敷かれたことから関連する話があったかなかったか…。
こうして洗足田園都市エリアを逓信省地図で確認してみたが、逓信省地図が同時代地形図と大きく異なっている部分が多いので、これだけを史料として判断するのは難しい。いずれは地形図や市販された地図、現地確認をしつつ特定していくつもりであるが、実際、耕地整理(区画整理)を行ってしまったところは戦後であっても以前がどうだったかを特定するのは難しい。自由ヶ丘のように耕地整理組合が1,000分の1より大きい縮尺の新旧比較図を残しているような場合はそうではないが、こと洗足田園都市については肝心の東急電鉄にも史料がほとんど残っていないようなので、地道な作業を伴うのは必至と見る。
といったところで簡単ですが、今回はここまで。
環七沿いの鰻の寝床のような細長い部分には戦前は有名人の住宅があったように記憶して居ます。狢窪の所は緑色になっている部分が深い窪地になっていて長らく住宅が建っていない湿地帯のような所でした。
投稿情報: 右木造院電車両マニア | 2012/05/06 09:46
追伸
3938番地の南端は目蒲線の踏み切りに掛る所で南側に狢窪変電所があり、洗足田園都市に電気を供給していたような気がします。
投稿情報: 右木造院電車両マニア | 2012/05/06 14:18
狢窪(狢久保)にあった変電所は千束変電所といい、目黒蒲田電鉄最初の変電所(交流→直流)でしたが、竣功1年半ほどで関東大震災で倒壊しました。場所は荏原郡馬込村狢窪3828番地で、買収し損なった3898番地に隣接しています。(3828番地は線路と道路用地に半分弱取られています。)
投稿情報: XWIN II | 2012/05/06 18:16
XWIN II 様
変電所
情報有り難う御座います。当時停電と言うと田園都市会社に電話していたことを記憶しておりましたので勘違いしていました。環七の立体交差化でかなり様子が変わりました。
投稿情報: 右木造院電車両マニア | 2012/05/06 22:30