FIFAワールドカップブラジル大会は、日本時間29日からいよいよ決勝トーナメントが開始。ブラジル対チリ、コロンビア対ウルグアイと、決勝トーナメントに進出した南米5チームのうち4チームが登場のつぶし合いで、ブラジルとコロンビアがベスト8へと進んだ。明日以降の試合も興味深い対戦が続き、しばらくは早寝早起きが続くことだろう。
さて、それはともかく日本代表のふがいなさはこれまでもふれてきたが、一番の罪悪は大マスコミになると考える。ワールドカップには多額の資金を拠出しているという背景は大変によくわかるのだが、だからといって「嘘」はいけない。いや、「嘘」でないにしても「妄想」や「思い込み」による記事は避けるべきだ。
だが、本大会が始まるまでの間は、「楽なグループに入った」とか「1次リーグ突破未経験の国が多い」などという論評や、「自分たちのサッカーをすれば勝てる」という選手の思いを伝えるだけでなくそれを鵜呑み(丸呑みした揚句膨張)するなど、都合のいいことを言ってくれる人たちばかりを集めた取材と称する身贔屓と、記事と称するプロパガンダで染まっていた。そう、戦前のマスコミが軍部礼賛をしたのとそっくりそのまま同じような色合いの記事が並んでいたのである。
ところが、1次リーグでの敗退が決まると掌返し(呆)。翌日のスポーツ新聞など1面から酷い有様(ただしデイリースポーツを除く)で、まるでそれまでの礼賛、盲信記事はどこへやら。戦った選手への労いなどもなく、落ち込んでいる選手への無慈悲な取材と称する虐め、ザッケローニ監督批判、日本代表批判などは、つい先日までどこの誰が大いに賛同していたのか目を疑う状況である。まさに鬼畜米英からGive me Chocolate! への変わり身の早さ。あれほど礼賛していた軍関係者に対する評価は地に墜とされ、自分たちは書きたい記事が書けなかったなどとすっとぼけ(都議会セクハラやじを発した人のすっとぼけとどこが違いますか?)。言論統制などと主張はするが、結局は新聞等を拡販するための編集・営業の判断であったことは頬被り。とどめはそれを国民のせいにする(そういう記事しか国民は求めなかった等々…)。
さらには、自分たちがどうしてそのような的外れの記事を書いたのかという反省などなく、日本代表に対する反省記事を特集で組む厚顔無恥。まず、隗より始めよ!と思うのだが、そのような大マスコミの態度はお目にかかったことがない。昔と今とは、情報の鮮度、確度、そして多様さはインターネットの普及によって様変わりしている。求められるのは、単に事実の列挙ではなく、それがなぜ起こったのか、どう展開していくのか、影響はどの程度かという分析能力とわかりやすい表現で記事(ニュース)にすることであって、加えて自身の立位置を示しておくことが求められる。同じ事実も見方、立場によって異なるのは自明であり、それは分析結果にもそのまま反映される。だからこそ、立位置は明確にしておくべきで、全国民(あるいは国民一般)のふりをすることは事実をねじ曲げているか、メルヘンの世界を作り出していると自戒すべきだ。
しかし、そうはできない。先にふれたように多くの視聴率をとる、販売部数をとるためには、広く国民一般に向いていなくてはならないからである。そのためには、特定の人たちだけを対象とするようなものは求められず、掲載(紹介)するにしても、それはあたかも国民一般に向けた形で変造される。それこそプロパガンダだ。ここが変わらない(変えられない)以上、本質が変わることはあり得ない。
とはいえ、あまりの掌返しはいかがなものかと思うし、いきなり反省会を始めるなら、自らがなぜあのような礼賛記事を載せてしまったのかを反省することから始めるべきだ。そのまま鵜呑みしたのか、あるいは販売政策上そのようにしたのか、はたまた別の理由か。まずはすべてを議論せよ、と大マスコミ諸君に苦言を呈しつつ、今回はここまで。
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