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2010/02/17

コメント

XWIN II様
情報有り難う御座いました。
戸越銀座ですが商店街に銀座の名前を付けたはしりであると聞いていましたが、電車が開通する以前から商店街だったのでしょうか?昔は中原街道の角から大崎近く迄長い商店街でした。昔程ではありませんが都営地下鉄への乗り換え通路であることも手伝って結構元気のある方です。これも五反田駅のバリアーフリー工事の遅れのお陰でしょうか?

私は、現在武蔵野線沿線に居住していますが、このJR線。元は貨物専用線だっただけあり、他の私鉄との乗り換えが、よろしくありません。西武線秋津駅には、武蔵野線新秋津から数百m歩かねばなりませんし、同じく東武線新越谷駅にも、わずかな距離ですが、南越谷駅はターミナルになっていない状態。
また、同、新小平駅と西武線青梅街道の駅も、500m離れています。

そんなふうに考えると、改めて「旗の台駅」の統合って、ある意味英断だったのだなと。それと、大崎広小路から、五反田までわずか300m。秋津と新秋津間より短いけど、ここを何とかして困難な工事を完遂したのは、池上電気鉄道の、五反田よりのさらなる延伸の夢と執念を見るような気が改めてして、ちょっと感動してしまいました。

ウィキペディアを見てきたら、

「駅からすぐの戸越銀座商店街に由来する。所在地は「平塚」であることから「平塚駅」になる予定だったが、既に同名の駅が東海道本線にあったため知名度の高い「戸越銀座」が選ばれた。」

ってありましたが……本当でしょうか?
地名的には「荏原郡荏原町大字戸越」なんですよね?

「平塚駅」になる予定だったなんて話、私てきには知りませんでした。

まとめてコメントいたします。

「戸越銀座ですが商店街に銀座の名前を付けたはしりであると聞いていましたが~」←はしりの一つですが、元祖(最初)ではありません。平塚村(→平塚町→荏原町→荏原区)の中だけでも昭和初期には3銀座あり、小山銀座、戸越銀座、蛇窪銀座の中で、駅のできた順からして小山銀座が最初かと思いますね。商店街は、商店会的組織の誕生は別にして大正末期には武蔵小山駅周辺にはできていました。

「「平塚駅」になる予定だったなんて話」←この話は事実です。池上電鉄の計画図面にも書かれており、荏原郡平塚村に由来するのですが、現在の戸越銀座駅の場所でなく、線路も現在のものの一回前の計画時のもので、その後、現在の路線計画になって「戸越」駅と予定駅名が変更されたのです。本件はそれほどでもありませんが、Wikipediaのいい加減さは、当blogでも扱っていますが、「長原駅」の項目なんかひどいものです。典拠元が悪いのか、引用者が悪いのかは掴みかねますが。

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