旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編1
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編2
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編3
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編4
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編5
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編6
旗ヶ岡駅と東洗足駅の歴史を探ってみる 総括編7
総括編もその8まで数えるようになった。その前からのものも含めるとかれこれ十数回にわたっているが、話題が広範・拡散気味になってしまってきたので今回は思いっきりしぼって展開することにしたい。よって、積み残しの「今日の洗足五叉路の近辺に初期の洗足(千束)駅が計画された可能性を指摘したい」という部分は、洗足田園都市の話題でふれることとする。
さて、まずは一つの地図からご覧いただこう。
これまでに、旗ヶ岡駅と東洗足駅周辺の変遷図を作図して説明してきたが、今回は総括編5で若干ふれた、当地域において池上電気鉄道はどういうルートで計画し、そして現在のような形となったのかを説明する。そのための図、である。道路と河川は耕地整理前のものとしているが、中原街道と曲がりくねっているが立会川のルート、そして茶色の点線で示した、現在の東急池上線と東急大井町線のルートからだいたいの位置関係は掴めるだろう。
池上電気鉄道の計画線が当地域を通るのは、大森駅~池上の最初期の計画から目黒駅まで延長した時から始まっている。以前の総括編6で示した、田園都市計画地を避けるようにして全ルートを示したものがそれで、これを第一次線(計画線)と呼ぶことにする。残念ながら公文書館等で確認した資料中には、駅の場所が掲載されていなかったので、当地域に駅があったのかはわからないが、以降の計画にはすべて駅が存在することから場所の特定はできないものの、駅の計画はあったと思われる。
しかし、池上~目黒不動前のルートが大きく変わり、今日の東急池上線ルートの池上~洗足池とほぼ同じになる第二次線(計画線)では、立会川直前で大きく曲がり川に沿うルートの途中、中原街道に接続する位置に中延駅が計画される。
さらに、接続先が目黒駅から五反田駅に変わった直後の第三次線(計画線)では、現在の旗の台駅に近い所に中延駅が計画される。さらにさらに、平塚耕地整理組合との協議により計画線は南にずれて、現在の東急池上線のルートとなるもので鉄道敷設工事が施工される流れとなる。また、平塚耕地整理組合との協議に基づき、大字中延内に駅が2か所造られることになり、当地域の予定駅はこれまで中延駅(大字中延内に唯一の駅のため)だったものを旗岡八幡神社に因み、旗ヶ岡駅を予定駅名とし、中延駅はもう一つの方(現在の荏原中延駅)に譲る形とした。だが、目黒蒲田電鉄大井線に先行開業を許し、中延駅を正式駅名としてとられてしまったため、荏原町大字中延にある駅として荏原中延駅と命名した。
以上、見てきたように池上電気鉄道は、計画が二転三転し、実に3つの予定線を経て4度目の正直でルートが確定したことになる。当地域においては、4度目で終了となるが、五反田駅への接続方法がもう一度変わる(地上駅から高架駅へ)ことから、5度の計画変更を経て完成したのが、現在の東急池上線というわけである。
といったところで、今回はここまで。
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