今回は、一枚の(古)写真です。では、早速ご覧いただこう。
遠くに松林が見え、一帯は胸の高さほどはある草原が広がり、手前の道路はもちろん舗装などされていない。紳士風の人が手に図面らしきものを持ち、遠くを指さし、それを見る古風な男性。そして標柱には「田園都市株式会社経営地」とある。そう、こここそ洗足田園都市(現在の東京都目黒区・品川区・大田区の各一部)が宅地造成される前の図面販売時代の写真である。
(「東京横浜電鉄沿革史」より。)
参考までに図面販売時代のパンフレットも示しておこう。田園都市株式会社は、大正12年(1923年)に洗足田園都市内(洗足駅前)に本社を移転させるが、パンフ上の住所は東京市京橋区南伝馬町三丁目五番地 第一相互館内とあるようにまだ移転前。そして、まだ目黒蒲田電鉄も設立前であることもわかる(営業項目として「電気鉄道の経営」とある)。これらのことから、まだ鉄道開通前の分譲初期(図面販売)時代のものと確認できるが、パンフに「機会は今です!何は兎もあれ先づ現場へ!」とあるように、とにもかくにも現場を見てほしいとし、その結果が上写真という流れである。
洗足田園都市については、近いうちに論考を始める予定であるが、今回はプロローグのプロローグ的なものとして今回はここまで。
またまた貴重な写真有り難う御座いました。
紳士が着ているマントは当時上流階級が愛用していたインバネスのようですね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/10 09:51
昨日、「洗足田園都市」のあたりを、「周遊」してまいりました♪
この地で生まれ育ったというのに、洗足五叉路から上に坂を上がる部分で、全く未踏破のところがあったこと、自分でも驚いています。洗足会館も、弁天池も、小さいときに来たことがあるのかもしれませんが、記憶になく……弁天池って、地図上で見ると、もう少し大きい感じがしたのですが、昔からあのくらいの広さだったのでしょうか?かわいい池ですね。
洗足田園都市……今でも、個性的な街並みです。なかなか美しいですね。
デザインに凝った家もあります。南面に全く窓のないうちなんて、どうよ~と、一緒に歩いた友人(この地在住)と、顔を見合わせてしまいました。
その後、洗足のミスタードーナッツで、お茶。
いやいや、ミスドで中華そばが食べられるとは知りませんでしたよ。
投稿情報: りっこ | 2010/02/11 06:58
コメントありがとうございます。
「当時上流階級が愛用していたインバネスのよう」←和服の上に着る外套。確かに戦前の上流階級が写る写真にもよく見えます。
「弁天池って、地図上で見ると、もう少し大きい感じがしたのですが」←確実に狭くなっています。いつからなのかは未調査ですが、現在の弁天池の道路を挟んで南側(現 駐車場)も弁天池でした。弁天池を渡る道路には橋が架かっていましたが、これは現在も欄干(橋名標)が残されています。
「洗足田園都市……今でも、個性的な街並みです」←その昔、分譲当時は洋風建築地区という指定もあって、エキゾチックな洋館が多かったようです。現在では洗足田園都市内にはほとんど残っておらず、隣接する地域に一部当時をしのぶことができる建物が残っていますね。
投稿情報: XWIN II | 2010/02/12 07:36
パンプレットに描かれているいわゆる震災後のモダニズムの流れを汲むいわゆる洋館で、始めは庭に垣根も無かったアメリカ東海岸のムードをだだよわすものでした。震災後の特徴として屋根に軽いルーフィング材が使われていることです。父は重い瓦葺きの家の多数が倒壊しているので柱にはトラス、屋根はスレート葺きとして地震に備えましたがB29には勝てませんでした。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/12 14:31
りっこ様
弁天池はたしかに昔は広く,深く、子供が溺死したほどでした。武蔵野の崖線の湧き水の枯渇が原因でしよう。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/12 22:47