「「旗の台」駅名は「旗ノ台」バス停留所名に由来する?」という話題で、昭和6年(1931年)時点における目黒蒲田電鉄「大井町駅前~洗足女学校前」路線バスのバス停留所を紹介したが、今回は同時期における池上電気鉄道「品川駅前~田園調布駅前」路線バス(乗合自動車)の停留所を紹介しよう。
- 品川駅前(しながわえきまえ)
- 八ツ山橋(やつやまばし)
- 御殿山(ごてんやま)
- 一本木(いっぽんぎ)
- 袖ヶ崎(そでがさき)
- 松泉閣前(しょうせんかくまえ)
- 五反田(ごたんだ)
- 大崎橋(おおさきばし)
- 星製薬前(ほしせいやくまえ)
- 桐ヶ谷地蔵前(きりがやじぞうまえ)
- 星商業学校前(ほししょうぎょうがっこうまえ)
- 戸越銀座(とごしぎんざ)
- 荏原町役場前(えばらまちやくばまえ)
- 瀬戸ヶ原(せとがはら)
- 昭和医専前(しょうわいせんまえ)
- 中延車庫前(なかのぶしゃこまえ)
- 東洗足駅前(ひがしせんぞくえきまえ)
- 長原駅前(ながはらえきまえ)
- 大井街道(おおいかいどう)
- 洗足池水上クラブ前(せんぞくいけすいじょうくらぶまえ)
- 工業大学前(こうぎょうだいがくまえ)
- 石川台駅前(いしかわだいえきまえ)
- 雪ヶ谷駅前(ゆきがやえきまえ)
- 東調布役場前(ひがしちょうふやくばまえ)
- 下沼部(しもぬまべ)
- 中原(なかはら)
- 諏訪分(すわぶん)
- 下沼部坂上(しもぬまべさかうえ)
- 下沼部坂下(しもぬまべさかした)
- 田園調布駅前(でんえんちょうふえきまえ)
大雑把にルートを示すと、品川駅西口から御殿山を回りSONYの前を抜けて五反田へ行く道を進んで中原街道へ合流。その後はずっと中原街道(旧道)を通り、今日に言うさくら坂上交差点を右に曲がって、いわゆる六間通りを田園調布駅東口まで進んでいくルートとなる。この中で興味深いのは、池上電気鉄道が中原街道にほぼ平行しているので、ほとんどの場合、○○駅前と池上電気鉄道の駅名を冠したバス停留所名となっているのに、洗足池駅は「洗足池水上クラブ前」となっている点である。池上電気鉄道の副業はバス事業を含めいくつかあるが、最も初期の頃から展開している事業がこの水上クラブであった。しかも、洗足池駅が開業する前から行っていたのである(単に第二期線の開業が遅れただけとも言えなくはないが…)。それだけ池上電気鉄道にとって思い入れのある事業だから、洗足池駅前としなかったのか。
他にも「工業大学前」など、正面玄関ではないけど、一応は近いのでそれらしい名前にしているなど、苦しい名前のものもあったり、なかなか興味深い。なお、昭和7年(1932年)10月1日に東京市合併以降は、「荏原町役場前」などはすべて停留所名は変わっている。
といったところで今回はここまで。
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