280ページ程度の本書を読み終えるだけなら、私のようにゆっくり読書をする場合でも数時間程度で読了するが、本書は通読ではなく何度も行ったり来たりをしたこともあって、思いのほか時間がかかった。読了後の感想を一言で述べるとするなら、
「学説そのものの捏造だったのか…」
で十分だろう。もっとも、その一言だけで集約するのは無理があるが、著者が丹念に捏造事件を検証していることもあって、下手な説明をするくらいなら本書の目次を引用する方が効果的だ。というわけで、本書の目次をご覧いただこう。
第1章 旧石器捏造事件とはどんな事件か
第1節 事件の発覚とその前後のあらまし
第1項 藤村新一のすごい業績
第2項 発覚後の情勢
第2節 筆者と捏造遺跡のかかわり
第3節 考古学協会特別委員会
第1項 日本考古学協会特別委員会の特殊事情
第2項 特別委員会の検証発掘について
第3項 日本考古学協会捏造検証特別委員会へ
第2章 捏造事件の本質と構造
第1節 捏造問題の本質
第1項 問題提起
第2項 前期旧石器型式学と出土した石器
第2節 捏造事件の構造
第1項 捏造事件の構造とは
第2項 前期旧石器発見は捏造劇である
第3項 藤村新一の役割
第4項 捏造石器の変遷と捏造の前半・後半
第5項 捏造石器はすべて縄文石器か
第6項 捏造石器と岡村道雄旧石器編年理論の整合性
第7項 捏造石器と芹沢長介・梶原洋の使用痕研究
第8項 ヨーロッパ旧石器と芹沢長介の旧石器文化伝播説
第9項 旧石器と自然科学研究
第10項 捏造を周囲から支えた安齋正人の「理論考古学」
第11項 捏造事件の構造
第3章 石器研究法から見た捏造事件
第1節 石器研究法
第1項 方法の問題
第2項 石器は技法で理解する
第3項 捏造を仮定する論理
第4項 捏造事件後の石器研究者の方法に関する反応
第5項 発掘優先の考古学
第6項 素朴な石器の考古学
第7項 解剖学的石器研究のすすめ
第2節 捏造石器の分析その1 下川田・入沢遺跡の石器(発見直後の見解)
第1項 整理の方針と方法
第2項 作成した観察データ
第3項 石器の薄利技術データ
第4項 石器の解説と綜合所見
第3節 捏造石器の分析その2 七曲遺跡の出土状況の不可解さ(2006年の見解)
第1項 捏造石器出土をめぐる証言
第4節 後期旧石器(先土器)時代遺跡の捏造(薬莱山遺跡群)
第4章 学史から見た捏造事件
第1節 学史検討の目的
第2節 第一期:江戸・明治期の考古学
第1項 二つの考古学
第2項 日本考古学の黎明期と石器研究(マンローの前期旧石器)
第3節 第二期:大正期~昭和35年ごろ
第1項 国府遺跡の旧石器
第2項 終戦直後の旧石器研究
第3項 芹沢長介の旧石器追求
第5章 あとがきにかえて─捏造事件から未来の考古学へ─
以上。
目次からもわかるように旧石器捏造事件は、藤村新一の単独犯かつ名声を得るためだけのつまらない事件などではなく、石器や遺跡の捏造にとどまらず、学説そのものの捏造であり、その説の補強・確実化のための儀式が発掘作業であって、儀式を滞りなく進めるためのヤラセ演出に旧石器や遺跡が捏造されていた。つまり、藤村新一は単なる主演男優に過ぎず、ヤラセには脚本、演出、監督、助演、エキストラなどなど、多くの人物が組織的にかかわっていたと書かれているのである(本書では、ヤラセとか主演男優とかの表現はない。あくまで私の印象である)。
もっとも学説だけなら、それそのものを捏造などとは言えない。巷間に言うトンデモな説などは信ずるに値しない説かも知れないが、一般的には捏造などではないし、そうも言わない。自説を主張し、自らの知見からそれを訴えるのであれば、ヘンな説と揶揄されることはあっても捏造などとは言われない。捏造とは「事実」をでっちあげることで、たとえまともに見える説であったとしても「事実を捏造」し、自説を補強して吹聴するようになったならば、これは「学説の捏造」となり、私的にはまだ根拠の乏しいヘンな説の方がましだと考える。
著者の言い分の中で、私が驚嘆したのは次の二点である。
- 「理論考古学」と称する「理論物理学」に範を採ったようなオカシな話(理論や学問とはとてもいえない)。
- 石器を発見した地層からその石器の年代区分を判定。
まず、最初の「理論考古学」について。私はあいにく「理論考古学」の全貌を知らず、あくまで本書からの知見のみであることを最初にお断りしておくが、著者曰く「いつのころからか日本の石器研究は、求められる事実が先にあり、それを発掘で証明するという手続きが主流になってしまった」(本書159ページ)とする、求められる事実を明らかにするのが「理論考古学」なのであろう。これは、私が学生時代に取り組んだ、正に理論物理学における手続きと同じである。
古くは、湯川秀樹先生の提唱された中間子仮説や、最近(…でもないがノーベル物理学賞受賞は近年なので)では小林・益川理論など、我が国の素粒子物理学の素晴らしい実績を見るまでもなく、理論物理学の世界では仮説や理論が先にあって、それを実験によって証明するという方法が確立されている。これらによって、クォークやウィークボソン等といった多くの素粒子が発見され続けた1970~80年代に、産み落とされたのが「理論考古学」という流れのようである。まさしく方法論としては、理論物理学の真似そのものだろう。
しかし考えるまでもなく、自然科学の物理(そして数学)の世界と、過去の人類が営んだとされる遺跡(及び石器等)の世界とでは、まったく意味合いが異なる。実験により検証が可能な物理学の世界と、実験による再現ができず発掘という手段による遺物の確認のみの世界では、基本的な法則を導出することの意味合いも大きく異なるのは自明であろう。もっといえば、分子・原子レベルの話と、遺跡に埋まっている石器レベルの話を同一レベルで語ることは無意味である。
と、「理論考古学」の話はこの辺でいったんとどめておいて、続いては地層の年代区分によって石器の年代も決まるという話について。一見、古い地層にある遺物がその地層の時代に存在した、という理屈は問題がないように思うかもしれないが、これには大きな落とし穴がある。遺物そのものがいつ頃のものなのか、という判定なくしてはおかしな話が続出することになってしまうからである。極端な話だが、10メートル掘ったらヤクルトの空き容器が出てきたとしよう。この空き容器のあった地層は、同位体測定等によって約1800年前の弥生時代の頃の地層だと判定されたとしたら、ヤクルトは弥生時代にも飲まれていた、と判断するだろうか。実は、水害によって堤防が決壊し家屋等が流され、土砂が堆積した結果、その空き容器が10メートルの地下に埋まってしまったような、たまたまの偶然の事象が生んだ結果であることは、ヤクルトの空き容器──というところでの判断を待つまでもなく自明だろう。しかし、これがヤクルトの空き容器でなく収集家が集めていた石器であったとしたなら、これはどのように判定されるだろうか。
つまり、発掘によって時代区分を設定するという行為は、様々な物的証拠を収集して慎重に定められなければならないものが、単に石器を見つけた地層の年代区分からその年代に使われていた石器である、とする方がおかしいのである。
だが、これが「理論考古学」とやらと結びつくと、もっともらしい話となってしまう。つまり「理論考古学」によって、石器の種別から年代区分が決まるので、その年代区分の地層から「理論考古学」で説明する石器が「発見」されれば、それは理論の「証明」とされ石器の出自は問う必要はなくなるのである。しかし、私には最初からもっともらしくなど見えない。この論法がおかしいことは「理論物理学」と比べるまでもなく、それ以上に出土物だけで定式化する方がおかしな話なのである。そのおかしな定式化から未来の出土物を規定すれば、さらにおかしな結果を生む、いやそもそも定式化された通りのものなど出てこない。それを「出す」ようにする行為が捏造の本質というわけである。
著者は、石器分析のプロだけあって、石器分析を伴わない年代特定には早くから疑義を抱いており、それが本書に結実しているのはもちろんだが、この捏造事件の本質はさらに岩宿遺跡まで遡ることを示唆している。それについて、私は特に驚きを得なかったのは、この捏造のされ方からして連綿と繰り返し再生産されてきた手法と見たからである。新たな学説とその定説化は、捏造と共にあったのだ。
最後に、本書についての疑義を一つだけ呈しておこう。それはなぜ本書が2010年のこの時期に出版されたのか、ということに尽きる。最も新しい情報は2006年頃のものと思うのだが、いかなる事情でこの時期となったのか。単なる遅筆ではないはずなので、そのあたりが気になるところだとして、今回はここまで。
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