前回(その6)の続きです。
さて、「国立公文書館情報から池上電気鉄道の歴史を追う」シリーズも平行して始めたこともあり、なかなかこちらの方に手が回らなくなりそうな嫌な予感も覚えつつ、新資料(自分自身にとって)の開拓も進めている。この手の資料として欠かせないものの一つは以前にも書いたような気がするが、やはり何を置いても写真資料が大きなものであるのは確かである。
しかし、写真(カメラ)の大衆化がいくら昭和初期から始まったとはいえ、誰もがそう簡単に写真撮影できたわけではない。ライカの伝説を聞くなり、また古参鉄道ファンの方など話からも、そうそう簡単に買えたものではない(戦後においても)という。それが戦前、さらに空撮写真となっては一市民がおいそれと手を出せるものでなかったのは明らかである。
(飛行機の発明は20世紀だし、有名なパリの空撮写実絵画は気球を使用していたので、一方向からの鳥瞰図的なものでしかなかった。当時はそれでもすごいのだが…。)
そういう時代であるので、戦前の空撮写真といえば報道機関のものであったり、あるいは地方自治体や企業、学校等が記念誌のようなものを出版するにあたって、自分の関係するところだけを必要最低限掲載するにとどまっていた。東京の空撮写真集で現在もっとも手に入りやすいものは、博文館新社が復刻出版している「大東京写真案内」だろう。昭和8年(1933年)の空撮写真が東京市35区別に取り上げられており、池上線関係でいえば戸越銀座駅等も掲載されている。だが、いわゆる航空写真のような形で掲載されているものは丸ノ内や田園調布など、ごくごく一部にとどまっている。理由は「防諜」で、戦前世代の方には説明不要だと思うが、帝都東京の地図ですら制限がかけられようという時代に、より現実を写しだしてしまう写真情報など出せるはずがない。そんなわけで、旗ヶ岡駅周辺の空撮写真を探すというのはなかなか困難なものであった。
そうした中、とある地方自治体経由の面白い情報が確認できた。それは先に挙げた「大東京写真案内」のベースとなる東京35区空撮写真が存在するという事実である。この情報から「大東京鳥瞰写真地図」という空撮写真集の存在を知り、復刻版が日本地図センターから200部限定で発売されていることがわかった。だが、定価210,000円ということや、復刻版であるため原本と比べて写真の質が相当劣化している等、大枚はたいて購入する価値はないと判断。とはいえ、貴重な資料であることに変わりはなく、どうしたものかと逡巡していたら、さるところから何と原本を見る機会に恵まれた。これが以下に示すものである。
当時の写真解像度が低いため、しかも相当高いところから全体を網羅しようとしていることから、細部はどうしてもぼけてしまっている。しかし、昭和8年(1933年)における情報としては十分なものだろう(肝心の旗ヶ岡駅は、写真右上あたり)。私が最初に思ったことは、1万分の1地形図そっくりだということ。当たり前だが、重要なことである。一方、地図には掲載されない情報もわかる。ちょっとぼけているので何だが、地図上では記号扱いされてしまうものや、田畑のパターン(細かい畦道までは地図上に明記されない)などなど。緑(森や木々)も同様である。単に地図では白くなっている何もないとされる所も、空撮写真ではモノクロだがどういう状況かが地図以上にわかるポイントも高い。
とはいいつつも、やはり細部がわかりにくいことに変わりはない。旗ヶ岡駅周辺の空撮写真も、肝心の駅の構造まではわからない。辛うじて、駅本屋らしき出っ張りが見えなくもない…といった印象だろうか。
というわけで、今回はここまで。
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