これまで当Blogにおいて、東急池上線の前身である池上電気鉄道に関連した様々なものを論じてきたが、今回もまたそれである。今回のターゲットは調布大塚駅。今はなき、現在でいえば、雪が谷大塚駅~御嶽山駅間にあった駅である。この駅は、これまで当Blogでももちろんだが、通説としては
昭和8年(1933年)6月1日、雪ヶ谷駅と統合により廃止
とされている。根拠はもちろん、東京急行電鉄50年史である。が、しかし、雪ヶ谷駅に関しては駅の位置異動に関してや、雪ヶ谷大塚駅への改名時期など通説が定まっていなかったり、あるいは誤った説が流布されていることは「雪が谷大塚駅の歴史 [完結編]」や「初代雪ヶ谷駅の場所を検討する(雪が谷大塚駅の歴史 番外編)」などで検討したとおりである。
これらを検討する中で浮かんだ疑義は、雪ヶ谷駅と調布大塚駅を統合したという割には、駅の場所は昭和12年(1937年)前後に行われた線形(曲線)改良工事の結果、ほぼ現在地に移設したことが同時代資料と言うべき「東京横浜電鉄沿革史」で確認できたことで、統合したという表現が正しいのか? ということだった。さらには、雪ヶ谷大塚駅への改名時期が統合したとされる昭和8年(1933年)より、ずっと後であるという事実もこの疑義を深めるものとなった。
さらに、昭和8年(1933年)6月1日という時期は、まだ目黒蒲田電鉄の統制を受ける前であり、調布大塚駅を積極的に廃止する理由も見えない。統合により、駅の位置がこのタイミングで変わったというのならまだわかる。しかし、そうでないのだから、なぜこの時期なのか? となるわけである。
そして、この疑義を確証に変えるキッカケを得たのは、以前ご紹介した「図説 鉄道パノラマ地図」という書籍である。本書の36~37ページに「昭和12年3月現在」と書かれた「沿線案内 東横・目蒲・玉川電車」が掲載されており、何と本図には調布大塚駅が掲載されているのである。

これを単なる記載ミスとするか、それとも事実とするか。これだけでは何とも言えないので、関連資料を探してみたら、池上電気鉄道合併後それほど経過していないと思われる沿線案内図を見つけることができた。

全体を載せると字が小さすぎるので、一部を拡大すると、

ご覧のとおり。しっかり調布大塚駅が掲載されており、しかも田園調布駅と連絡バスが運行されているように書かれているのである(これは先の「沿線案内 東横・目蒲・玉川電車」にも掲載されているが)。ここまで書いておいて、記載ミスはさすがにないだろう。池上電気鉄道を合併して、おそらく最初期に作られた沿線案内図であることは、各路線の記載されている駅名を列挙すればわかるだろう。
目蒲線
目黒、不動前、武蔵小山、西小山、洗足、大岡山、奥沢、田園調布、多摩川園前、沼部、鵜ノ木、下丸子、武蔵新田、矢口渡、本門寺道、蒲田。
東横線
渋谷、並木橋、代官山、中目黒、祐天寺、碑文谷、府立高等、自由ヶ丘、田園調布、多摩川園前、新丸子、元住吉、日吉、綱島温泉、大倉山、菊名、妙蓮寺、白楽、東白楽、新太田町、反町、神奈川、横浜、高島町、桜木町。
大井町線
大井町、戸越、蛇窪、中延、荏原町、東洗足、洗足公園、大岡山、緑ヶ丘、自由ヶ丘、九品仏、尾山台、等々力、上野毛、二子玉川。
池上線
五反田、大崎広小路、桐ヶ谷、戸越銀座、荏原中延、旗ヶ岡、長原、洗足池、石川台、雪ヶ谷、調布大塚、御嶽山、東調布、慶大グラウンド、池上、蓮沼、蒲田。
さらに、本図には奥沢線が記載されていない。もしかしたら意図的に掲載していないだけ(どうせ廃止するつもり)かもしれないが、時系列として、
- 昭和9年(1934年)10月1日、池上電気鉄道を合併。
- 昭和10年(1935年)11月1日、奥沢線廃止。
- 昭和11年(1936年)1月1日、戸越→下神明、蛇窪→戸越公園、洗足公園→北千束、本門寺道→道塚、東調布→久ヶ原、慶大グラウンド前→千鳥町、と6駅の駅名を変更。
となっているので、ほぼ昭和10年(1935年)中に作成されたことは間違いないだろう。もし、奥沢線廃止後に作成されたのであれば、さらに範囲を狭めて特定可能になるが、どちらにしても昭和10年(1935年)頃までは調布大塚駅が存在していたように書かれている。
この事実をどう受け止めるか。いずれも単なる記載ミスと片付けるのは簡単だが、本図上では池上線の主要駅として五反田、洗足池、雪ヶ谷、池上、蒲田と並んで調布大塚が表記されているのだ。昭和8年(1933年)に廃止となった駅に対し、いくら合併した他社線の駅だからといってこのようないい加減な記載をするだろうか。
現時点における私の推論は、調布大塚駅は昭和12年(1937年)前後の雪ヶ谷駅~御嶽山駅間曲線改良工事頃、おそらく雪ヶ谷駅が調布大塚駅寄りに(ほぼ現在地に)移動した時点をもって廃止になったと思われる。リンク先に示した昭和13年(1938年)の3,000分の1地形図には、線形(曲線)改良後の路線等が掲載されているが、ここに調布大塚駅はない。そして、これ以降の民間企業等が出版した地図においても調布大塚駅は見えなくなっているものが多い。さらに、先にふれたように池上電気鉄道が昭和8年(1933年)6月に調布大塚駅を積極的に廃止する理由が見えないことも併せ、調布大塚駅昭和8年廃止説を否定する、となるわけである。
といったところで、今回はここまで。
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