キャンブックスシリーズは鉄道関連の書籍として素晴らしい作品が数多あることで知られ、私もいくつか持っているが、中にはかなりひどいものがある。当blogでも、書籍について様々な誤りなどを指摘しているものがあるが、その大半は購入してから行っている。それは著者に敬意を表し、著した苦労を慮れば、単に批判だけを行うのはいかがなものかと感じているからだ。
しかし、中には例外もある。あまりにひどい、根本的なところに錯誤があり、それが単なる誤植ではなく、明らかに著者の薄っぺらい知識から派生した「短絡思考」から出てきたとしか思えないものは、購入する価値を見出すことができないからだ。
残念ながら、キャンブックスシリーズの汚点となりそうな「東急電鉄まるごと探見」(著者:宮田道一、広岡友紀)だが、著者の一人、宮田道一氏は元東急電鉄の社員で、積極的に東急電鉄系の書籍を著している方である。こういう方を著者として迎えているのに、大変申し訳ないが本書には致命的な誤りが多数ある。また、誤りに加えて、歴史認識もどうしても東急電鉄を悪者にしたくないという独特な解釈(いわゆる歴史修正主義)も見られ、言い方は悪いが、「老いたな…」という印象が拭えない。
まず、最たるものは最初の方に書かれている東急電鉄の歴史である。黎明期から現在まで、20ページほどによくまとめられているが、中身がひどい。私の勝手な予想だが、おそらくほとんどを広岡友紀氏が執筆し、それを宮田道一氏が監修する(もう少し深く関わっているかもしれないが、主従でいえば広岡氏が主で宮田氏が従だろう)という形だろうと見る。というのは、鉄道史料をよく見ている(調べている、ではない)のはわかるのだが、まったく上滑りで、喩えは悪いが、できの悪い学生のインターネット情報を継ぎ接ぎした論文もどきを読んでいるような印象なのだ。これまでの宮田氏の著書を見る限り、ここまで底の浅いものではなかったので、もし宮田氏がメインで書かれていたとするなら、先にふれたように「老いたな…」となるのだが、そこまでひどくはならないだろう。なので、著者の役割分担について、そう思ったのである。
そうしたことを踏まえて、致命的な誤りを指摘しよう。それは東急電鉄の源泉である目黒蒲田電鉄の開業路線に関する記述で、本書によれば次のようになっている。
目黒~丸子多摩川 ←誤り!
大事なことなので、もう一度書こう。
1923年3月11日 目黒~丸子多摩川間 開業 ←誤り!
他にあったらご教示いただきたいが、このような誤りは初めて見た。正しくは、
目黒~丸子 ←正しい!
である。おそらく著者の頭の中には、現在の目黒線と東急多摩川線が多摩川駅で乗り換えているというイメージが色濃く焼き付いているのだろう。だから、部分開業の結節点が多摩川駅の旧称である丸子多摩川駅だと勘違いしていると見る(あるいは田園都市株式会社由来の免許と武蔵電気鉄道から譲渡された免許の結節点で一期・二期となったと勘違いか)。だが、正しくは開業当初は、目黒~丸子(現 沼部)間であり、わざわざ多摩川駅から丸子駅まで開業線を一駅分延ばしたのである。
なぜ丸子(沼部)駅まで当初開業路線を延ばしたのか。答えは簡単で、中原街道、そして丸子の渡しという当時の交通の要衝と結びつけるためである。開業当初は、洗足田園都市(当時、洗足住宅地)の分譲が行われているだけで、調布田園都市(当時、多摩川台住宅地)の分譲は行われておらず、鉄道利用者をあてにするには人々が行き交う丸子まで敷く必要があったからだ。
こういう歴史を承知していれば(この程度であれば、誤りが多いが基本史料「東京急行電鉄50年史」の当該数ページを読めばわかること)、丸子多摩川と丸子を混同するはずがない。そもそも開業当初は丸子多摩川駅ではなく、現在と同じ多摩川駅だったのだから(駅位置は異なる)。
そして歴史認識(歴史修正主義)については、池上電気鉄道の合併は敵対的(強引な)合併ではなく、当事者間で穏便に行われたとするような記述を強調しており、それに加えて、やったのは会社ではなく五島慶太だとしてすべての責任を押しつけている記述である。歴史認識は立場によって異なるが、事実や当時の認識を歪曲するのは褒められたことではない。
池上電気鉄道の合併については、池上電気鉄道の経営陣が誰一人として知らないまま(ということは株式買収を公にもしていない)、大株主から取引所を介さずに株式の過半を買収し、一方的に臨時株主総会を提起し、経営陣を刷新するという行為そのものが「敵対的でない」とするようなもので、著者はそういう簡単な理屈すら知らないのかと驚愕する。仮に大株主と五島慶太の仲が大変よかったとして、好意をもって譲渡したとしても、会社からすれば敵対的買収以外の何物でもないのだ。実際、当時のマスメディアは敵対的買収と報じているし、当の五島慶太も「小田急とは穏便に合併した」と言っているように、それ以外は穏便でなかったことを告白している。にもかかわらず、敵対的買収という見解を少数的な意見とし、そうではなかったとするのは歴史修正主義以外、何と表現していいのだろう。
また、別の例として「田園調布」の命名由来についても東急電鉄(目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄)が命名したように記しているが、盗人猛猛しいとはこのことだ。当時は調布田園都市と分譲地を自称しており、分譲地の住民たちが荏原郡調布村の中で独立したエリア(行政区的なもの)を構成するにあたって(調布村が区制施行するにあたって)、その名称を「田園調布」としたのが初めで、単にそれを駅名として拝借したに過ぎないのである。しかも改名理由は、鉄道省から同駅名変更通知を受けてのことであり、調布→田園調布、多摩川→丸子多摩川としただけで、積極的に改名したわけではない。にもかかわらず、あたかも「田園調布と命名したのは東急だ」的な物言いはいかがなものかとなるのである。
あげていけばきりがないが、本書は単に誤植の山とか言うのではなく、誤りの根っこが薄っぺらい知識に基づく寄せ集めと著者の妄想(会社勤めの長かった宮田氏ではなく広岡氏の可能性が高いと見る)が跋扈しており、とてもではないが購入する価値はないと断定した。その上で、このようなことを書くのはいかがなものかと自問するが、とりあえず記しておこうと思った次第。
2014年4月19日午前追記
当記事のコメント欄で頂戴した情報によれば、歴史に関する記述は広岡氏のようである。やっぱりだめな著者は書く内容もだめかと改めて納得。
最近のコメント