これまたとてつもない労作が現われた。我が国では東方見聞録として知られるマルコ・ポーロの「世界の記」。近年、新たな邦訳版が登場するなどしているが、本書はフランク・イタリア語版、セラダ手稿本、ラムージォ版という三つの版を全訳・対校し、すべての異同を示したものである。著者によれば、世界で初めての試みということで、確かに本書を読めばそれは納得できる。言うまでもなく、とてつもない手間を要するからであり、もっといえば「正直売れるとは思えない」からである。
東方見聞録は、よく知られるようにマルコ・ポーロの口述をルスティケッロ・ダ・ピーサが物語調に著したものであるが、ジェノヴァの牢獄での運命の出会いがなければ、後世我々が当時の西洋人から見たアジアの状況を知ることもできなかったし、ジパング(黄金の国)として西洋諸国に伝わることもなかったろうし、大航海時代の先駆けがどのような展開を招いたのかもわからない。それだけ重要な書物でありながら、長い歴史の中で、というよりは活版印刷術が発明される前に著された書物であったため、様々な異動が様々な版で加除されたことから、まったく別物となってしまっている章も多い。
そういった「世界の記」の異動を丹念に追い、それを語注と解説で補いながら全貌を示したのが本書である。通読する読み物というよりも、なぜこんなにも異動が生じたのか。そして変わらない部分はどのような話か。という着眼点で見ても大変興味深いものがある。これだけの労作を母国語で読めるというのは、それだけでありがたいものなので、価格は18,000円(税別)であったが躊躇せず購入した。一人の力は小さいが、それでも購入するという行為(好意)をもって態度を明らかにしたかったというのもある。
訳(著)者はもちろんだが、これを出版した名古屋大学出版会に対して敬意を表しつつ、今回はここまで。
日本では、フビライを遠征に駆り立てた黄金伝説で人口に膾炙されている「東方見聞録」が、牢獄の中で口述されたものとは知りませんでした。このフランス語とイタリア語の間の子のような言語は地中海貿易商人の間のコミュニケーションのための言語だったのかもしれませんね。今日でもアフリカではスワヒリ語のような共通言語がありますが、このような困難な作業に取り組んだ著者に頭が下がります。フランスでは、オクシタン語、アルザスローレンでは、アレマンドイツ語、トリノでは、ピエモント語のように方言が残っていることを知りましたが、しゃべる人々は年々激減しているようですが、義務教育や雇用の関係でしょうか。小生はこの年で、残念ながらこの年でこの労作にチャレンジする勇気は最早ありませんので、ウイキでお茶を濁すこととします。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/01/29 19:40