歴史は科学か、そうでないか。物理学や数学などいわゆる理系学問を専攻してきた者としては、歴史は科学であるはずがない!と断言(一例として我が国の旧石器時代に関する議論をあげれば十分だろう)できるが、一方で歴史書は専門書をあわせて読むものの、歴史学の薫陶を受けていないので、果たして歴史学を専門にしている人はどう思っているのか。それに対する回答の一つが、本書「歴史学の将来」(著者:ジョン・ルカーチ、訳者:村井章子、監修:近藤和彦)となるのではないだろうか。
帯に「歴史は科学的というより文学的だ。最良の歴史は必ずや個人的で参加型になる。アメリカの優れた現代史家が後生に言い残す、快活にして真摯な、学問のすすめ。」とあるように、ルカーチ曰く社会科学的な歴史の無意味さを語っている。内容については、以下に目次を掲げれば一目瞭然だ。
第1章 歴史家であること
・歴史意識の発生
・歴史学の歴史
・「社会科学」としての歴史
・現代の危機において歴史家であること
・「歴史的思考は、われわれの血肉となっている」
第2章 歴史家にとっての問題
・少数者の歴史から大勢の歴史へ
・トクヴィルが語る歴史著述の未来
・世論と大衆感情
・国民感情
・出来事の構造
・歴史学における一九六〇年以降の流行
・社会史の優勢
・歴史教育の現実と将来
・文書偽造の危険
第3章 歴史ブーム
・新しい現象、その証拠
・同時に進む歴史教育の縮小
・歴史ブームの原因
・伝記への関心
・歴史の無知――歴史はますます重要だということ
第4章 文学としての歴史の再認識
・歴史も、事実も、言葉で成り立つ
・ばかげた「社会史」と、文学としての歴史
・アマチュア歴史家の優位性
・客観でもなく主観でもなく参加型
・歴史的観念論は絶対的でも決定的でもない、決定的に重要なのは「いつ」である
第5章 歴史と小説
・歴史家の仕事、小説家の仕事
・「事実」と「虚構」
・小説の起源と歴史を歴史家はよく考えるべきである
・すべての小説は歴史小説である
・起きたことと起こり得たこと
・最近の小説の危機と現在の危機
・歴史による小説の吸収、新形式の文学
・補遺
第6章 歴史家の将来
・本と読書の将来
・歴史学は必然的に修正主義である
・正義の追求、真実の追求
・アメリカのリベラル歴史家の近視眼。考えていることと信じていること
第7章 伝統、遺産、想像力
・過ぎ去ってゆく一つの時代
・歴史意識の今後
・科学技術は歴史より長らえるか
・「……今後、何か新しい形の思考が始まることを希望する……」
章立ての中の小項目は、本文中に起立しているわけではなく、あくまで数字が振られているだけだが、その数と小項目の数は一致するので、例えば第7章の2とあるのは「歴史意識の今後」という意味合いになる。さて、著者はブダペスト生まれの北米史家であるので、解説の近藤和彦先生はいくつかの注文(我が国に関する内容のいくつか)を本書末尾に記されているが、そんなものを本書に望むものではない。あくまで考え方、スタンスの問題が重要だと思う。
歴史家が過去ではなく未来を語ること、これ自体が希有なものであると同時にそれが歴史家として大きな仕事をなされたのであれば、なおさら貴重なものであるだろう。歴史に科学的な分析など、遺跡に関するもの(遺物など)以外にはほとんど不要であり、規則性や法則性を見いだすのは興味以外は無意味であり、ましてや将来を占うなどあり得ない。科学でないのはもちろん、科学的という言葉すら、歴史学には合わないのであると改めて感じ入りつつ、今回はここまで。
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