今週は、秋葉原に関して大きなニュースが二つあった。一つは、全国…というよりも全世界的ニュースとなった通り魔事件。7人死亡という凄まじい事件であるが、残念ながら治安云々でなく、たった一人でもやろうと思えばこの程度のことができてしまう、という事実を追認したに過ぎない。例によって、あれこれ禁止しようとかいう話が聞こえるが、この手の話はいくら対処療法をやっても無駄で、責任者の言い逃れを作る口実(つまり無駄遣い)でしかない。
それはともかく、このような事件が起これば、類似犯や模倣犯の類(この事件そのものがそういった性格のものかもしれないが)が続発する危険性は高い。また、そうでなくともマスコミが集まる中では、余計な気を遣うことも多い。よって、しばらくは秋葉原に足を踏み入れることはないだろう。
と書いてみたものの、重大な事実に今更ながら気がついた。今年に入って、秋葉原に行ったことが(たぶん)一度もないということである。数年前には毎週のようにPCショップ等を巡回していたことを考えれば、半年もいやそれ以上、秋葉原に行かないなどあり得ない。
しかし、事実は事実である。PC熱が冷めた、というわけでもない。わざわざ、いわゆる自作する必要も感じなくなっていることは足を遠のかせる一因ではあっても、それだけで行かなくなることはない。それをいうなら、若くなくなってきたという方がまだ適切だと思う。
要は、秋葉原まで行ってモノを買う必要性があるのか、ということである。もう一つのニュースである「本多のオヤジ」の訃報は、よき時代の秋葉原におけるPCショップの終焉を再確認するものであり、個性的な、というだけでなく、時代の先端を突っ走っていると体感させるだけのモノがあった。モノを買うだけでなく、最先端であり未知のモノにふれるという楽しみ、そして店員さん等との会話などで情報収集させていただくなど、単なる買い物という枠を超えていたと、今振り返ってみれば思い当たる。
これが大きく変わったのは、高速インターネット回線の普及と、ありとあらゆる情報がネット回線を通じてWebブラウザから閲覧することができるようになったからだと誰もが言うだろう。私もそのとおりだと思うし、また体感としてもそのとおりだと感じている。たとえば、Intel社やAMD社の最新マイクロプロセッサの情報は、噂話などではなく直接自らがWebページに掲載し、データシートがPDFでダウンロードすることができるようになっている。基調講演なども、すべてを見ることは無理であっても、代表的なものであればこれもWebブラウザ経由で見ることができる。昔のように(といってもまだ10年経ったか経たないかだが)、情報集積地である秋葉原まで出向く「必要性」は限りなく薄くなっている。
やっぱり、直接手に取ってみてから買いたい。というものがある限り、まったく秋葉原に行かなくなることはないだろうが、間違いなくその「必要性」は減ってきている。ましてや、秋葉原以外でも手に入るものなら、わざわざ秋葉原に行ってまで買う「必要性」はさらに低くなる。秋葉原の「まち」としての性格が変わるのは必然であるだろう。
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