およそ二か月前に「後期高齢者医療制度について少し語ってみる」として語ってみたが、あれから国民的理解を得る云々というより、半ば大手マスコミや衆議院野党(=ほぼ参議院与党)の煽動(というか一部は無理解に近いものもあった)もあって、新制度は窮地に立たされている。
最後の最後で関わったからだけではないが、単純に廃止して元に戻すというだけでは無責任極まりない。仕組みから考えれば、廃止というなら公的な医療保険制度を全廃するくらいでないとならない。そのくらい密接なものである。いうまでもないが、年金も含めた公的社会保障制度の設計は、40年以上前の国民全体の年齢階層別人口等に立脚しており、それが大前提となっている。その大前提が崩れ去っている中、見直しは欠かすことができず、全額税方式等も含めて様々な策が検討されている。
だが、代替策どころか、今後の方向すら示さないまま(きちんと裏付けのある)、廃止するだけで元に戻すというのは、あまりにナンセンスであるといわねばならない。国民の意思というが、私にはとてもそうは見えない。この手の問題には、必ず世代間闘争(負担する側と恩恵を受ける側)があるはずだが、それが見えないところに「世論誘導」の意図をくみ取ることができる。あるいは、戦前のように「後期高齢者医療制度反対!」と叫んでいなければ非国民になってしまっているのだろうか?
民主主義的に多数決というのなら、絶対的多数を占める中高齢者の意見が若者の意見をつぶしてしまうのは明らかである(国民の意見とは中高齢者の意見なのである)。残念ながら、公徳心を失った中高齢者が多くを占める現在では、将来のことなど二の次で、自分さえよければいいとなれば、後期高齢者医療制度だけつぶしてしまえばいい、いやそれどころか目先の保険料負担さえなくなればいい、となるわけである。
高齢者の医療費無料化に始まった「ツケ」は、後払いと先送りのスパイラル地獄に陥り、一方で国民の平均寿命を延ばすという効用はあったが、その一方で高齢化社会を加速してしまった。それにより、負担は加速度的に増加し、どうにもならないところまで進んだが、国民的人気を背景にした小泉内閣のもとで後期高齢者医療制度の導入が決まった。裏を返せば、そういう内閣が存在していなければ、導入すらできなかったわけで今日の混乱はなかったともいえる。
以前にもふれたように、「後期高齢者医療制度は、75歳以上の人たちだけの問題ではない」。もう一度書くが、年金保険料も含め、社会保障制度をいかに維持していくのか。各論反対ではなく、全体設計を示していただきたいものである。間違いなくいえることは、甘い汁を吸う人が増えれば、甘い汁はなくなるということだ。
コメント