消費税前に購入してあった本のうちの1冊。日本原子力学会と言えば、原発業界の…いわゆる原子力ムラの専門家・学者集団であり、ムラに喩えるなら古老や長老格、いわば権威と言っていいだろう。我が国の原子力利用は、歴史的に広い意味での核開発であって、唯一の被爆国としての矜持から、国民一般からは強い反発を受けやすい。それを推進するにあたっては、どうしても反発を受けたくないという作用が働き、政治・行政が係われば、理由はどうあれ捩じ曲げられる。
反発を逸らすには、いわゆる都市伝説的なものも含め、不安を解消するしかない。そのためには一にも二にも「安全」だということを強調することが求められる。そして、それ以上に原発立地場所では「安全」が強調され、それに従わない者は村(ムラ)社会から外される。村八分である。ここでの村(ムラ)とは、その地域(原発立地場所はほぼ過疎地であるので、その地域の村社会をいう)を指す。
仮に、原発について皆が理解を示し、是々非々で対応でき、加えて必要性・経済性をまともに議論できるのであれば「安全」などという抽象的なものを布教しなくてもよくなる。しかし、科学苦手の大手メディアは、社会の木鐸を無意味(わけもわからず、あるいはメタファを言葉どおりに意訳して勘違いするなど)に鳴らし続けるので、付和雷同の多くの人たちはそれに靡く。結果として、より、必要以上に「安全」を強調せざるを得ず、古老や長老格も口を閉ざすようになる。
このような文化的な背景を抜きにして、いわゆる「安全」神話を語る勿れ、である。こうした視点で本書を眺めると、専門家ならではの解説部分はまだしも、提言や分析評価部分は相変わらず何も変わってないなと感ずる。
具体的には、「原子力安全の基本的な目的を達成するための10の原則」を眺めてみよう。
- 安全に対する責務
- 政府の役割
- 規制機関の役割
- 安全に対するリーダシップとマネジメント
- 安全文化の醸成
- 原子力の施設と活動の正当性の説明
- 人および環境へのリスク抑制とその継続的取り組み
- 事故の発生防止と影響緩和
- 緊急時の準備と対応
- 現存する放射線リスク等に対する防護措置
既にこの時点で3つ「安全」という言葉が使われている。いや、そもそも標題自体に「安全」をうたっている。さらに「正当性」という、いかにもな言葉も使われている。原則を示す標語であるので、どうしてもワンフレーズで言い表さなければならないため、なるべく専門用語を避けたいし、また強調したいものをアピールしたい気持ちもわからないではない。
だが、確実に言えることは、この10の原則を見て、これが福島第一原子力発電所過酷事故が起こる前のものか、起こった後のものかと判断するのは難しい。無論、中身を見ないで早計はいかがなものかとなるが、だったら原則で明快に示した方がいいだろう。要するに、日本原子力学会としては、
不幸な予期せぬ事故はあったが、今後はここまでの事故は起こらないのだから、気にせず前を向いて行きましょう。運が悪かったね。
というように見える。また、深層防護理論を盾に東京電力の要求を無視(そもそも福島第一原子力発電所の立地や様々な技術的な指導等はどこの誰が行ってきたかを考えれば明白)してきた日本原子力学会は、今後も深層防護理論を改良していくと主張しているが、最終的にこれも「深層防護を基盤の安全論理として位置付け」と、あくまで「安全」といういい加減な口当たりのいい指標をアピールするにとどまる。
また、笑ってしまうのは、「地震による格納容器内配管の損傷の可能性」については、事象からの論理展開でなく、計器(正確である保証はありますか?)から計測された値を元に分析し、加えて想定されるパラメータだけから導出され、その結果が「損傷していない」と結論付けている点である。散々、反省しておきながら(あるいは単に反省するポーズをとっているだけかもしれないが)、あくまで現実の事象には目を瞑り、従来の理論から現実とは一致しない結論を出す事実が、日本原子力学会はまったく反省していない証左であるだろう。よほど、自分の理論に自信があるのか、あるいは単にこのレベルの人たちだとなる。今、目前で起こっている事故の分析がこのレベルなら、今後起こりうる事故に対する説得力などありはしない。
専門家の見地からどのような調査報告書となっているかという一点で購入してみたが、これまでの国会、政府、民間、東電らのものと比べて、もっともひどいものだと感じた。東電のそれは当事者そして事業者であるが故に、どうしても逆贔屓目になってしまうが、この学者集団は他人事である。もっともらしいことは言っているが、この事故調査報告の目的は、
原子力安全の確保と継続的な安全性の向上を達成するための方策,および基本となる安全の考え方を提言
することであるので、反省などは形だけであるのも致し方ない。それは、10の原則で表されているように、事故があろうがなかろうが結論は同じだということからも明らかだ。そして、なぜここまで「安全」を連呼しなければならないのか。
原発の何が問題なのかと言えば、低い確率とはいえ、過酷事故が起こった場合の「影響」である。他のものよりも「影響」が大きいのは、今のフクシマの現状を見れば説明を要しない。確率がゼロでないのだからやるべきではない、という主張を多くの人たちが受け容れることは、都市伝説や思い込みではなく、確率論で語るべきものではないからだ。太陽膨張や小惑星衝突といった低い確率であっても人為的にどうにもならないものであれば、「影響」がいかに大きくても問題にはならないが、原発のそれは地震や津波などの自然現象に左右されるが、原発そのものは自然現象ではない。論理のすり替えや耳障りのいい言葉に騙されないようにと思いつつ、今回はここまで。
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