以前、目黒競馬場跡地について「目黒競馬場跡はどんなふうに分譲されたのか空から確認する」という話題をとり上げたことがあるが、今回は池上競馬場跡をとり上げてみる。目黒競馬場は、今でも「目黒記念」という中央競馬GIIレースの名前で残っているので、廃止後80年近く経った今日でも生き続けている(名前のみだが)と言えるが、こちら池上競馬場はそういった類のものはなく、ほとんど知られていないようである。
それもそのはず、池上競馬場は明治39年(1906年)から明治43年(1910年)の間のみ運営されたに過ぎないからだ(競馬そのものは明治41年、政府によって馬券発売禁止となり終了)。
池上競馬場のモニュメントは、巷間に拠れば東京都大田区池上六丁目30番にある「徳持ポニー公園」にあるようだが、もちろんこの場所に何かが残っているわけではない(調べてみないとはっきりしないが、この公園の名前は改称されて今の名前となった気がする)。では、昭和10年(1935年)頃の航空写真で確認してみよう。
真ん中あたりにうっすらと横長の楕円が見えるが、これこそがかつての池上競馬場のコース(トラック)だった跡である。肝心の「徳持ポニー公園」の場所はこの競馬場跡にはひっかかっておらず、モニュメントの説明がどうなっているかは知らないが、ポニー公園を名乗らせるのならもうちょっと場所を気にしてもよかったのではないかと思う。興味深いのは、池上競馬場が明治末期に廃止され、その後大正時代を経て昭和も10年近く経過したこの時期、つまり30年近く経った時点においてもなお跡地としてはっきりと確認できることにある。要は、耕地整理(区画整理)はされたものの、その間ずっと放置されてきた土地だということである。
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それでは、ゼンリンの電子地図で現在と比較しながら、先ほどの写真に簡単な説明を付したものと比べながら注目点を確認しよう。
まず、当blogにおいては池上線から確認したくなる特性(苦笑)があるので、そこからいこう。昭和10年(1935年)当時には池上電気鉄道は既になく、目黒蒲田電鉄に合併されてしまった後なので、池上線と表記した。右上には池上駅があるが、池上駅の右側(東側)を見ると、池上線のカーブが急である(半径が小さい)ことがわかる。この当時は、まだ池上線が開業当時のまま(正確に言えば複線工事完了後)の曲線が残されており、現在の線路は航空写真では既に家が建っている(上写真でいうと池上駅と書いた駅の字の右下あたり)ことから、曲線改良工事に伴い家屋移転が行われたことが確認できる。また、この当時駅だった場所は、今の池上駅前のバスターミナルであることもわかる。この当時から、池上本門寺のお会式を考慮に入れて、池上電気鉄道他駅とは比べものにならないほどの駅前広場を確保していた池上駅だが、曲線改良工事によってさらに広い空間を確保できたこともわかるだろう。
次に注目は、池上線の左側(西側)の池上線と書いた線の字の下あたりから慶大運動場(慶大グラウンド)方向に斜めの道が見えるが、この道はこの一帯がまだ耕地整理(区画整理)が成されていなかった頃に池上電気鉄道が慶大運動場(野球場)までの通り道として用意したもので、このあたりに初代慶大グラウンド前駅があった。(参考記事「慶應義塾大学新田球場における旅客争奪戦 中編」。)
まだ、第二京浜国道(当時の言い方では新京浜国道)が建設されていないので、池上線も目蒲線も高架橋などはなく地上と平面交叉となっていることも注目となるだろうか。
30年近く跡が残っていた池上競馬場も、徳持耕地整理組合による耕地整理(区画整理)と昭和10年前後からの戦争景気によって昭和19年(1944年)時点では、ご覧のようにまだ空き地は目立つものの、家屋や工場などが目立つようになり、上空からは跡地をたどることが困難となったことがわかる。わずか10年足らずの間に、新京浜国道の完成(当該区間)と両鉄道の立体交叉化、池上線の曲線改良が行われたことも確認できよう。また、目立った変化としては慶大運動場のあったところに整然と細かい建物群が見えるが、これは日中戦争中(昭和14~15年)に職工向け住宅として同潤会が分譲した調布千鳥町住宅で、工業地帯に進みつつあった当該地域に相応しい(工場勤め人向け)住宅といえるものである。
以上、見てきたように池上競馬場は明治末期にわずかの期間存在しただけであったが、その跡地は約30年にわたってそのまま(放置状態)であったことに驚かされる。しかも池上電気鉄道が大正11年(1922年)に開業したにもかかわらず、それから10年以上経てもこのような状況だったのだ。そこには、徳持耕地整理組合による耕地整理事業も影響したことは確かだろう(事業中は勝手に土地の売買や建物建設などができない)が、池上駅南側が比較的早い時期に住宅が建ち並ぶ様子を見るにおいては、首を傾げたくなるのもまた事実。まぁそのあたりには深入りしないでおいて、池上競馬場跡地は結構長い間残っていたのだと確認しつつ、今回はここまで。
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