昨日は、太平洋戦争末期頃の成城学園前駅上空から見た航空(空中)写真を示したが、今回はそれより一年前の昭和19年(1944年)の東京都板橋区(練馬区が板橋区から分区するのは戦後)上空からの写真。
畑地のど真ん中に滑走路らしきものが南北に走り、西側(写真左側)には空港関連設備(工場)が見える。そう、これこそ太平洋戦争中に出現した成増飛行場の姿である。戦後は米軍に接収され、空港としての機能は早々に失われ、米軍住宅機能を主用途としたグラントハイツ(当時の地図などではグランドと表記されているものが多い)になり、返還後はなかなか用途が定まらなかったが、今では練馬区光が丘と地名も変わり、公園と住宅群となっている(ゼンリンの電子地図で示すとだいたい以下のとおり)。要は、こんな形で存在できたのは、たったの数年に過ぎなかったのだ。
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この地域の歴史に疎いのではっきりしたことは言えないが、おそらく陸軍がこの成増飛行場の広大な土地を接収した行為に有無を言うことはできなかったと思われる。時期的に多少のずれはあるが、戦時中は建物強制疎開も当たり前のように行われていたことから、お国のために土地を拠出することは当然であり、それに逆らえば非国民のレッテルを貼られてしまったかもしれない。そんなことを滑走路から感じつつ、今回はここまで。
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