今、東京都千代田区に町名変更にかかわって、地元ではホットな争いが続いているという。それは、
- 三崎町 → 神田三崎町
- 猿楽町 → 神田猿楽町
に変更したいというものだ。千代田区の地図を確認すれば自明のとおり、千代田区には「神田」を冠称する町名が数多い。神田神保町、神田駿河台、神田小川町、神田美土代町、神田淡路町、神田須田町、神田紺屋町、神田多町などなど。特に、JR神田駅東側には数街区から構成されている小さいものが多いことにも気付くだろう。もちろん、三崎町や猿楽町以外にも神田を称していないものは他にもある。詳しくは千代田区のWebページの「住居表示実施地区と未実施地区一覧」をご覧いただくとして、この中の住居表示未実施地区を確認すれば得心できるだろう。
千代田区における住居表示未実施地区一覧
- 麹町一丁目~六丁目
- 一番町
- 二番町
- 三番町
- 四番町
- 五番町
- 六番町
- 神田鍛冶町三丁目
- 神田多町二丁目
- 神田司町二丁目
- 神田淡路町一丁目~二丁目
- 神田小川町一丁目~三丁目
- 神田佐久間町一丁目~四丁目
- 神田神保町一丁目~三丁目
- 神田須田町一丁目~二丁目
- 神田駿河台一丁目~四丁目
- 神田錦町一丁目~三丁目
- 神田相生町
- 神田和泉町
- 神田岩本町
- 神田北乗物町
- 神田紺屋町
- 神田佐久間河岸
- 神田富山町
- 神田西福田町
- 神田練塀町
- 神田花岡町
- 神田東紺屋町
- 神田東松下町
- 神田平河町
- 神田松永町
- 神田美倉町
- 神田美土代町
最初の麹町から六番町までを除くと、すべて「神田」を冠したものが住居表示未実施地区だとわかる。麹町から六番町まではご存じの方はご存じのとおり、千代田区が成立する以前の旧麹町区に所属する町であり、「神田」を称するものは同じく旧神田区に所属する町であった。さらに、ここに列挙した「神田」を称する町は、1947年(昭和22年)に千代田区が成立した時点で「神田」を冠称されたもので、端的に言えば「元神田区にあった町」という意味合いであったのである。
なぜ、元神田区にあった町に「神田」を冠称したのか。今の地図を見るとさっぱり意味不明だが、戦前の麹町区並びに神田区の地図を見ればすぐにわかる。理由は、両区に同じ名前の町名が存在するため、千代田区になった場合、まったく同じ「千代田区○○町」などとなってしまうのを避けるためだ。このことから、旧神田区に所属する81町すべてに「神田」を冠称することとなったのである。
(このような例は、東京都中央区成立時における旧京橋区と旧日本橋区。東京都港区成立時における赤坂区、麻布区、芝区。東京都文京区成立時における旧本郷区と旧小石川区。東京都台東区成立時における旧浅草区と旧下谷区にも見ることができる。)
しかし、住居表示を実施するにあたり、千代田区は旧神田区の小さい町を統合すべく、大きなブロック単位で「神田」に東西内外を付与した町名に変更すべく、外神田、内神田、東神田、西神田を誕生させ推し進めようとしたが、大きな反対運動を受けることになる。これは千代田区に限らず、旧江戸の区域等では様々な反対運動が展開された。よって、千代田区ではまだ多くの区域で住居表示が未実施のままであり、その多くが「神田」を冠称した町々なのである。
一方、住居表示された旧神田区のエリアで「○神田」となっていないのは次の5町である(丁目は省略)。
- 三崎町
- 猿楽町
- 一ツ橋
- 岩本町
- 鍛冶町
そう、いずれも「神田」を外した形で起立された町なのである。もうおわかりだろう。今回、「神田」を冠称したいと主張しているのは、住居表示制度による変更を受け容れ、自ら「神田」を外したところなのである。人によっては「自らではない」というだろうが、三崎町は1967年(昭和42年)4月1日、猿楽町は1969年(昭和44年)4月1日に住居表示されているので、まっとうな反対運動を行っていたなら他の神田地域同様、そのまま住居表示はされなかっただろう。よって、地域の総意としては自ら、となるわけである。
だが、旧神田区の住居表示未実施地区のすべては「神田」を冠称したままで現在まで続いており、先行して住居表示を実施したところは「○神田」と塗りつぶされた町々を除くと、「神田」はすべて(といってもたったの5町だが)外されている。これに対して「神田を復活してほしい」というのが、今回の争いの根源となるのである。
さて、ここまで経緯を追いかけていて、三崎町と猿楽町に神田を冠称してほしいという言い分はどうなのか。立場によって様々だろうが、私は次のように考える。
まず、住居表示制度の善し悪しはさておき、千代田区が40年以上にわたって行っている「方針」は堅持されるべきだと考える。明文化されているかはわからないが、これまでの住居表示制度運用の中で「神田を冠称するものはすべて外している」ので、引き続きこれを墨守すべきだとなる。
また、歴史的に見て「神田」を冠称するようになったのは、旧麹町区と旧神田区が合併した千代田区成立時(1947年)であり、それ以前は「神田」を冠称してはいなかった(江戸期から神田を冠称する町名はあったが、この2町はそうではない)。つまり、神田三崎町は約20年間、神田猿楽町は約22年間だけであり、現在の住居表示後の三崎町は既に約46年間、猿楽町も約44年間の歴史を積み重ねている。千代田区成立以前は、神田を冠しない三崎町であり、1872年(明治5年)に起立してから数えれば約75年間の歴史を持つ。通算すれば、三崎町が約121年間、神田三崎町は約20年間。どちらが歴史があるかは言うまでもない。
とはいえ「神田」区の「三崎町」として捉えるなら、その歴史は約70年弱あるわけで、これに神田三崎町の約20年間を加えれば約90年間となるが、やはりこのように解釈するのは厳しいだろう。駿河台をかつては神田之台と称していたとはいえ…。
まぁ歴史の常だが、結局のところどこまで遡るかによって、解釈はもちろん何から何まで変わってくるので、一概にあれこれ決めつけるのもどうかとも思う。そんなことを思いつつ、今回はここまで。
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