12月8日、この日は日本時間において「太平洋戦争」開戦の嚆矢である「真珠湾奇襲攻撃」が行われた日として記憶されるが、今から70年前の今日(1943年12月8日)は、大本営海軍報道部企画の映画「海軍」(制作:松竹、原作:岩田豊雄、監督:田坂具隆)が公開されている。太平洋戦争二周年記念として銘打った映画であり、九軍神の一人「谷真人」(映画=小説のオリジナルで、モデルは特殊潜航艇乗組員であった横山正治)を主人公とした作品である。
この二周年記念映画が公開された時期というのは、ご存じの方には言うまでもなく、戦局は既に連合国側に大きく傾いており、先月(1943年11月)には米国、英国、中華民国によるカイロ会談、さらに米国、英国、ソ連によるテヘラン会談が開催されていた。既に「戦後」について話し合いが始まっていたのである。
一方、国内に目を転ずれば、1943年10月に出陣学徒壮行会が明治神供外苑競技場(現 国立競技場)が開催され、同月には「昭和十八年臨時徴兵検査規則」(陸軍省令第40号)や「在学徴集延期臨時特例」(勅令第755号)等が施行されるなど、明らかに将兵の損耗は目に見えるのみならず、国民には戦後になるまで秘密にされた御前会議「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」(1943年9月30日)の決定を踏まえた絶対国防圏への対応も含まれていた。そう、最早、連合国の反転攻勢にどう対応していくかという時期であったのだ。
さて、この「海軍」という作品。戦後になって東映による再映画化がされているが、原作が朝日新聞に戦時中に連載されていたことからわかるように、プロパガンダ作品と言われようが、やはり松竹の昭和18年12月8日公開作品の方が、時代を色濃く映していると思う。作品中に出てくる鹿児島市内の風景は、米国による爆撃によって既に見ることができない貴重なもの。その時代の空気を映し出すものとして価値ある作品だが、完全版は失われている。GHQの手によって──。
といったところで、今回はここまで。
xwin 様
「海軍」の作品が軍国主義を鼓吹しているか否かを問わず、一つの記録として残しておくべきであったと思います。ものの見方が常に変化するこは敗戦後僅か五年で価値観が逆になるような朝鮮戦争が勃発したことで明らかです。軍部の要請に応じて戦争画を描いた藤田画伯も時勢に便乗する画壇の批判に嫌気がさしてフランスに帰って永住した話を思い出しました。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/12/10 01:20
「『海軍』獅子文六の出世作」と銘打った腰巻の単行本が我が家のどこかにあると思います。プロパガンダ映画ではありますが、主人公の鹿児島時代を描いた前半は、青春映画としてみれば、かなり秀逸。作品としてイマイチの感が拭えないのは、海軍兵学校時代を描いた後半部分が制裁を欠くことと、ご指摘にもある尻切れトンボの終わり方が原因で、GHQ以前の段階で、すでに負け戦に傾きつつあった撮影時期の海軍、あるいは兵学校が、新聞連載時の雰囲気にすでになく、制約あるいはできないことが多かったのであろうと想像します。
翌年、木下恵介監督で「陸軍」が発表されましたが、1944年という時期にしては、どことなく全編に漂う厭戦気分か意外です。特攻の筝を直接言っているのではないでしょうが、主人公?(笠智衆)の「カミカゼが吹くとか云うても」など批判的な言辞も、不思議な気がします。
「海軍」に話しをもどしますと、田坂具隆監督と配役の滝花久子さん(田坂監督妻)、小杉勇さんは、戦後、桜上水にお住まいでした。田坂邸から坂(映画陽のあたる坂道の撮影現場と伝わりますが、往年の面影はほとんどありません)を50mほども登れば小杉さんのお屋敷。そのお隣が藤田進(こちらも往年の名優です)邸でした。ふるいことなので私の世代では知る人もまずありますまい。
投稿情報: 桜上水confidential | 2014/04/17 08:36