東京府荏原郡における明治期の町村制施行時の変遷過程シリーズ第13回目となる今回は、荏原郡羽田村をとりあげる。これまでのように、まずは第一次案から見ていこう。
羽田村 = 羽田村 + 羽田猟師町 + 鈴木新田 + 萩中村
この4村のうち、鈴木新田は江戸期に新田開発によって誕生した村で、「村」という接尾語が付いていないが村と同等である。また、羽田猟師町は「町」と付いているものの、これは市制町村制とは関係がなく、位置づけとしては江戸市中における町人の町という程度の意味合いであり、これも扱いとしては村という位置づけとなる。猟師(漁師)専業の村であった。そして萩中村を除けば、いずれも羽田村が出自といえ、まさに合併して羽田村を称することに何の問題もないといえるのである。
では、第二次案を見てみよう。
羽田村 = 羽田村 + 羽田猟師町 + 鈴木新田
何と、きれいさっぱり旧羽田村にかかわるものだけが羽田村となっている。萩中村は、隣接する蒲田村に異動し、名実共に羽田村と称するに相応しい格好となった。だが、最終案では再度、異動が生ずることになる。
羽田村 = 羽田村 + 羽田猟師町 + 鈴木新田 + 萩中村 + 麹谷村
合併後の村名は羽田村と変わらないが、大きな変化は麹谷(糀谷)村が新たに加わり、萩中村が第一次案と同様に羽田村に復帰することとなった。この異動は、前回の蒲田村でもふれたように、漁業権にかかわる問題を孕んでいた。麹谷(糀谷)村としては、蒲田村を構成する村々よりも羽田村を構成する村々との関係が深いとして異動したが、こうなると間に挟まれる格好となる萩中村は必然的に羽田村に入るしかない、となるのだろう。よって、施行時においても、
羽田村 = 羽田村 + 羽田猟師町 + 鈴木新田 + 萩中村 + 麹谷村
最終案と変わることなく、この組み合わせで羽田村を起立した。
以上、羽田村の大きな変化は麹谷(糀谷)村を加えるかそうでないかの違いだが、糀谷地域としては羽田村という名称に不満を持っていたようである。羽田村を起立した際、大字名として糀谷は採用されるのだが、それは旧村名をそのまま継承したに過ぎないので、村名とは言い難い。それが現在まで続いていると思わせるのが、現在の大田区にある地域庁舎の名称である。歴史的に大田区は、大森区と蒲田区の合併により誕生したが、大森区は東西に広かったこともあって、大森区時代から第二庁舎として現在の嶺町特別出張所あたり(東調布町役場のあった場所でもある)に調布地区の中心地があった。これが大田区となって大森区役所だったものが第一庁舎となり、第二庁舎はそのままで、蒲田区役所に変わるものとして現在の大田区総合体育館のあたりに第三庁舎が用意された。だが、蒲田地区が広すぎるということで4地域体制になった際、大森地域庁舎、調布地域庁舎、蒲田地域庁舎、糀谷羽田地域庁舎となった。端的に言えば、概ね羽田村だったエリアが糀谷羽田地域庁舎の所管なのである。そう、羽田地域庁舎ではなく、糀谷羽田地域庁舎なのである。こう命名しなくてはならないということは、どういうことなのか。いちいち論ずるまでもないだろう。
といったところで、今回はここまで。
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