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2013/02/16

コメント

羽田地区はかっての工場の賑わいはみられなくなりましたが、漁師町だけは如何にも漁村の雰囲気を保っています。美味いハゼの天ぷらを食べる所があると釣好きの人から聞いたことがありますが、漁場をめぐって殺人事件まで起きた程東京湾の水産資源が健在であると言う記事を読んだことがあります。

やはり、羽田地区にとって大きな「軛」は東京オリンピック前の漁業権放棄だと見ます(これは大森地区や他の漁業権放棄地域も同様ですが)。ここで補償を得た人達は、海苔干し場などにアパート・マンションを建て不動産収入を得ようとしますが、なかなか素人がやるには難しい仕事です。また、猟師町的性格として「宵越しの金は持たない」というものもあって、資産運用に苦しむのは戦前の羽田銀行創業時まで遡って見ることができます。
かつての猟師町だったエリアは、羽田の七曲がりなど今も狭く曲がりくねった道がそのまま残っており、言い方は悪いですが、大きな災害でも起こらない限りこのまま残っていくような印象です。
今では工場跡地はマンションなどに加えて高齢者向け施設に生まれ変わっており、よくよく見ていけば産業の芽は続いています。工業だけが産業ではありませんからね。

XWIN II 様
手にしたことの無いような大金が転がり込んだ結果、人生を狂わされた人々のことがよく話題となりますが、私の友人も船橋で漁民の相手に商売しておりましたが、金銭トラブルで大火傷を負ってしまいました。海苔に関してはかなり後迄南から着陸する時に滑走路の手前で海苔の竿を見掛けましたが、最近は出掛けませんので知りませんが、絶好のシーズンである寒風吹きすさぶなかでもうこんな辛い仕事を引き継ぐ若者は居ないのではないでしょうか。

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