昨日は、初詣として東京目黒区にある碑文谷八幡宮(碑文谷八幡神社)に出かけたが、せっかくここまで来たのだからと、近隣にある円融寺まで足をのばした(のばすというほど離れていないが…)。碑文谷八幡宮の参道から、それに続く立会川緑道を進んでいけば、左手(北)側にすぐに見えてくる。
円融寺にも門まで続く参道はあるが、今では門前の水路(小川)の名残である道路と一体になり、急な左カーブとなっている。このため、ミラーが設置されているが、門と似合わないのが残念である。
門横には、「天台宗 圓融寺」と石碑が建ち、門柱にも表札で寺名が書かれている。
門正面には、このように筆書きされた立派な門札も掲げられている。
この門をくぐると見えてくるのは、都指定文化財の仁王像が安置されている仁王門なのだが、ちょっと右手に目を移すと立派な鐘楼が見える。
元旦ということで、きれいに化粧されており、おそらく年明け早々には除夜の鐘が鳴らされたと思われる。この鐘楼に吊されている鐘も由緒あるもので、国重要美術品に指定されているものだ。
再び正面に目を転ずると、仁王門が姿を現す(というかすぐ見える)。鐘楼と同じく、正月ならではの化粧が施されているが、門の左右に仁王像が据え置かれているので仁王門というわけである。ただ、残念というか、文化財保護のためなのであるが、この仁王像はガラス部屋の中に鎮座(門柱周囲をガラスでガード)しているため、明るいときには見えにくいのが残念なところだ。
仁王門の解説板。やはり、こういったものがあるとないとでは大きな違いである。解説板には、以下のような解説が記されている。
円融寺仁王門
目黒区指定有形文化財 建造物
昭和53年3月22日指定
仁王門は間口三間、一戸、八脚門、入母屋造、茅葺で南に面している。用材はおもに欅と檜を使い木割が大きく簡素な構成で、建築様式も和様に唐様をとり入れ、細部の虹梁、蟇股、懸魚などにも彫刻的装飾が多く施されている。
中央通路両脇間に板張床、背面一間に、仁王像が安置されている。
この仁王像は、永禄2年(1559)鎌倉扇ヶ谷大蔵法眼の作と云われ、簡素な中に力強さを秘めており、江戸時代には多くの信仰があつめた。(都指定文化財)
仁王門も仁王像の製作とともに建築されたものと推定される。現仁王門は、様式的特徴から寛文期(1661ー1672)と元禄期(1688ー1703)の間に大改修が加えられたことが推定される。
昭和63年3月 目黒区教育委員会
では、仁王門をくぐると、そこにはバス停名「国宝円融寺前」の由来となっている国重要文化財である釈迦堂が姿を現す。
初詣の日とあってか、人が途切れることがなかったので、人入りの写真となった。これが東京23区内で最も古い木造建築物といわれる釈迦堂である。前知識がなければ、それほど大きなお堂ではないので大したものには見えないのだが、そこはそれ、である。円融寺(釈迦堂)の解説板も見てみよう。
ちょっと影って見えにくいので、これも転載しておこう。
円融寺 碑文谷1-22-22
嘉祥元年(848)慈覚大師によって開かれたという天台宗の寺で、法眼寺と云われた。
その後、弘安6年(1283)日源上人により、日蓮宗に改まり法華寺と称し約400年の間大いに栄えた。しかし、独自の教義を強く主張したため幕府の弾圧を受け、元禄11年(1698)に、もとの天台宗の寺にもどされ、経王山円融寺となった。
正面に立つ優美な「釈迦堂」は室町初期に建てられたもので、23区内で最も古い木造建築である。(国指定重要文化財)
仁王門に安置されている「仁王像」は、永禄2年(1559)の作といわれ、江戸時代の末期、民間信仰で有名になり「碑文谷黒仁王さん」と呼ばれて大変親しまれた。(都指定文化財)
このほか当寺には、寛永20年に鋳造された「梵鐘」(国重要美術品)、日源上人の事蹟が刻まれている「日源上人五重石塔」や中世宗教史研究上貴重な歴史資料である「板碑」(区指定文化財)などがある。
昭和63年 目黒区教育委員会
ここにいう独自の教義とは、いわば選民思想的な「不受不施」のことで、日蓮宗以外の人たちには与えず、施しも受けずというもので、このような独立独歩的なものは時代を問わず弾圧されるものだろう。天台宗から日蓮宗(法華教)、そして再び天台宗となったことにより、天台宗の寺であるにもかかわらず、日蓮宗関連の遺物が残っているというわけである。
この日は寒かったせいか、外で氷がはっているのを初めて見た。釈迦堂横にあったこの水溜にうっすらと氷が残っていたのである。もっとも、滅多に自然にふれあう機会がないので、こんなことで感動している私のような物珍しい人は多くないかもしれないが…。
釈迦堂正面にも、門と同様に立派な名札が掲げられている。
横から見た釈迦堂。それほど大きくはないことが確認できる。
この先にも寺のご本尊ともいうべき阿弥陀堂がひかえているのだが、規模は大きいものの特筆すべきものはあまりなさそうなので、ここまでで円融寺をあとにした。というわけで、今回はここまで。
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