近々、目黒駅と日本鉄道品川線(現 JR山手線の部分及び赤羽線)の計画変更に関する記事を掲載予定でいるが、その資料(史料)調査の上でいくつか疑問点が出てきている。それが標題に示した問題で、定説に因れば
「目黒駅及び目白駅は、品川線開通時=明治18年3月1日に遅れること約2週間後の3月16日に開業した」
とされている。しかし、明治18年(1885年)3月4日発行の官報には、以下の記事が掲載されているのだ。
以上、確認できるように、鉄道新線開業ということで新橋~赤羽間の時刻表が掲載されている。ここには、
新橋 ~ 品川 ~ 目黒 ~ 渋谷 ~ 新宿 ~ 目白 ~ 板橋 ~ 赤羽
の上り列車3本、下り列車3本の発着時刻が記載され、3月1日より実施しているとあるのだ。つまり、目黒駅も目白駅も品川線開業当初の明治18年3月1日開業というわけである。
もちろん、あくまで日本鉄道から工部省への報告に過ぎず、実態は異なる可能性は否定できない。とはいえ、明治中期の官庁社会においてそのような虚偽的なものが通るのかどうかは何とも言えない。そして、目黒駅並びに目白駅の開業日とされる明治18年3月16日以降の官報には、新駅開業の報告はない。
それでは、日本鉄道からの報告のレスポンスや工部省の報告に遅延が生じていたかといえば、そういうことはなさそうである。例として、以下の記事をあげておく。
明治18年3月26日発行の官報には、日本鉄道が今風にいえばダイヤ改正を行った旨の記事が掲載されており、これは官報発行前日(3月25日)に実施したとする報告であることから、事実の翌日であることがわかる。このほかにも、いくつも日本鉄道の報告は官報に掲載されているが、概ね一週間以内(前後)に告知(掲載)されているのだ。
これはどういうことなのか。目黒駅及び目白駅の開業日が品川線の開業日よりも遅れた理由は明確にあって、それをお上に対して虚偽報告したとなるのだろうか。そんな疑問を呈しつつ、今回はここまで。
旅客の便のため客車を連結云々の記事がありますが、貨物輸送の比重が高かったことを示していますね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2014/01/05 22:17