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2011/06/30

コメント

旗ヶ岡会館が記載されているというのが、この昭和10年の地図なのですね。
初めて見ました。すばらしいです。四百百荘の構造物なんかも記載されていて……
ワンダフルです!
さらに、昭和10年の地図も見やすくていいですね。洗足幼稚園の敷地が広いですねぇ
「幻の跨線橋」については、私もずっとあるのかと半信半疑だったのですが。
私としては、あのどんどん橋の写真を見て、ものすごい簡素な間に合わせの橋だけど、当初何らかの都合で、線路に直線道路的な踏切がつくれず、やむを得ず、すぐ脇に、それこそ木の橋をつくったのではないかという、推測の気持ちを改めて持ちました。
写真において、どんどん橋の向こう側に踏切が見えない、ということも一つ。
父の言っていた、「最初は木の橋、すぐに取り壊されて……」というこの部分だけ、合っているのかもしれません。

それと、私の新たなる疑問は。あの写真は、8月28日の、池上電気鉄道が旗ヶ岡駅を通った、その日ではないかもしれない。ということです。
踏切で、警護しているように見える、2~3人の方たち。私は池上電気鉄道の職員かと思ったんですよね。
同じような帽子かぶっているし、腕章しているし、制服みたいだし。
でも、木造院電車両様からは、これらの方々は、在郷軍人と教えていただきました。
なるほど!そうだったのかと思うと同時に、この人たちが、コートを着ているというのが物すごい違和感。8月28日ですよ? 夏ですよ?
もし、式典が8月28に当日ではなかったとしても、日にち的にそんなにずらすことはないと思うのです。
でも、この渡り初めにしても、参加者全員、格好は「冬」
いかに今みたいな猛暑はないとはいえ、昔だって夏は暑かったはず。子供まで全員長袖。不思議でたまりません。この写真だけなら、開通の渡り初めとは思わなかったかもしれませんね。

場所については、私も等高の関係は、思います。ただ、後ろの高い煙突は、昭和大学の煙突であろうと思います。風呂屋の煙突にしては、細いし、高いので。
昭和大学に細い煙突があることは、品川区の100年、昭和10年の昭和医大全景でわかります。

 であらためて原本を見直し、拡大してみましたが、左側に見える丘の法面に見える関東ローム層と人と比較した高さから、この上に旗の台保育園がある所である可能性が高いと思いました。撮影点は手前の西側の丘の上から下に向けて撮影されたものですので三間通り迄はまっすぐ写らない可能性があり、煙突はやはり清水湯でしょう。
 開通式と言う概念に囚われ過ぎたのかもしれません。安全祈願の渡り初めならば神官が先頭になって渡るのが通常ではないでしょうか。
 大胆な推理ですが旗台小学校の起工式か開校式のような気がします。生徒の安全のために警報機を取り付けたのかもしれません。
 五反田方面に向かう電車は崖に遮られて電車に気が付かない恐れがあるからです。なぜ始めに立体交差にしたのかの推理としては、人身事故があったか通学路であったかで、遮断機もまた自動信号化されないと設置できない警報機が付けられないので財政的な理由として臨時措置として立体交差にしたのかもしれません。
 近所に居乍ら用が無いので滅多に渡ったことがないので確実なことは申し上げられませんが、東洗足の町会の学区が旗台小学校であれば通学路の可能性がありますが、たしか昭和8年ぐらいに着工した様に憶えています。 第二延山で進学を目指していたその地区の親は強制転校で大恐慌を来したのを憶えています.
 第一回か二回の卒業生ならこの写真を憶えているかも知れませんが、関係した役員は残念乍らお亡くなりになったことでしょう。
 写真の裏に克明に記録している人はあまり無く、残念乍ら葬式の後や引越の時に燃える塵で処分されるのが大半です。昭和2年から大幅にずれますがこの推論に対するコメントを御待ちしています。ながながとあちこち引っ張り回して申し訳ありませんでした。

こういう話は結論に至るまでの過程(あれこれ検討すること)が面白いので、興味深いご見解はこちらも刺激を受けます。既に私の得た結論は記事にしましたが、「旗台小学校の起工式か開校式」というのもありかもしれません(子供も多いですので)。

まず、旗台尋常小学校は昭和9年6月開校とのことですから、昭和8年前後に工事に着工していたはずですので、ご記憶のとおりかと。地図資料等から、コの字跨線橋がなくなったのは昭和4年後半~昭和8年(あるいは昭和9年前半あたり)頃と推量できるので、旗台小学校の誕生に合わせて踏切化された可能性はあり、と思います。

まぁ、私自身、この地域が地元でもなければ居住したこともなく、単に街歩き(地域歴史研究)等で見聞しているだけですので、体験されている方々にはとてもおよびません。まったく見当違いの可能性もあって、なかなか書きにくい時もありますが、今後ともご意見等を頂戴できればと。

ご指摘の通りこの種の催事に子供が大勢参加することはあまりありませんのでこの推論に達した大きな要因の一つです。場所的には法面の地層から旗の台保育園の所に間違いないという結論に達した大きな要因です。近所に居ても全く疎い場所という所があり、小学生一年の時に第二延山から分かれたので友人も居ませんでしたので交流がまったくありませんでした。

追伸
撮影時期ですが、家屋の密集の度合いからも昭和8年頃と推定しました。

池上電鉄の雪谷から先の8月28日の開業は桐が谷迄でしかも単線であり、五反田迄つながったのは翌年ですのであの踏み切りが8月28日である可能性は薄いと思います。また昭和8年頃となりますと中原街道も三間道路もバスや円タクや荷車が狭い道路にひしめきあって私なぞ自転車で遊びに行っても危険を感じたのを憶えていますので、通学用にあの脇道を利用したのも分かるような気がします。交通量の増大に応じた道路の拡張工事が用地買収がネックになって遅れたのは今と変わりません。

>>第二延山で進学を目指していたその地区の親は強制転校で大恐慌

このタイトルと外れてしまうのですが。
この点が長年の疑問だったので、ぜひ教えていただければと思います。

実は我が家ですが。
父は6年間ずっと赤松小だったのですが。おばが、まさにこの昭和8年ごろ、つまり小学校5年生で、赤松小から、第二延山に、強制転校となっています。

弟が、下の学年に在籍し続けているのに、上級生の姉のみ強制転校、これナゾでした。
祖母に聞いてもはっきりわからず。父いわく。「オレの寄留先と姉の寄留先が違ったからだろう」
……まだこの説明でもわかりません。
「強制転校」って何でしょうか?

りっこ様
強制転校
既に説明した通り震災後の城南地区の爆発的な人口の増加に学校施設が対応できず私自身1年生とときは午前と午後の2部授業でそれでも肘がつかえるほど大人数が教室に押し込められていました。これを解決するために旗台小学校のように学校を増設したのですが、教諭の質がどうしても新設校では落ちるのではないかという神話が親の間に広がり、一部の親は事前に割り振りの情報を入手した人は寄留先を変更する手を打ったようですが、議論していると拉致があかないので強制転校と言うことになったのでしょう。転校された方々でもみな立派に成長されました。出世はあくまで本人の努力次第と言うことですか。寄留制度は良く知りませんが子の将来を心配する親心は何時までたっても変わりませんね。

>木造院電車両マニアさま

ありがとうございました。
赤松から第二延山
いわば、名門小学校から名門小学校なんですよね。
初めから、第二延山にすりゃいいものを。これもまた、我が家のナゾです。
伯母は91歳になりますが、父よりはよほど頭がしっかりしています。
我が家では、父が両親期待の星だったようですが、今となれば、全く立場は逆転です。

桐が谷駅までの単線開通の件は以前のブログで見た記憶がありますが、不確定な情報で申し訳ありません。多分桐が谷駅に関する何れかのブログだったのかも知れません。

コの字方の跨線橋ですが、財政的に逼迫していた時に古枕木と古レールの護鏻軌条で済む踏み切りとしないで歩道橋を造ったのには余程の事情があったのでは無いかと思います。児童の通学路としては未だ旗台小学校は無く、強いて言えば第二延山小学校ですが他のルートも考えられますので全く見当がつきませんが、何れにしても地元の強い要望が無ければ費用を掛けて橋を作る理由がありませんが、今となっては古老に聞くしか無いでしょう。私も古老ですが(笑い)。

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