« タクティクスオウガ 運命の輪── クレシダを仲間に | メイン | さらば、T-ZONE »

2010/11/28

コメント

XWIN II様
綿密な調査には何時も驚嘆しております。それにしても中原街道の平面交差を許可した一方で府道106号には立体交差を要求する辺り、何か或る筋からの圧力による今日の用語で言う行政指導的匂いがします。環八は戦前から田園調布の踏み切りから上野毛あたりまでは既に道幅も広く桜並木があり、ゴルフ場入り口手前の橋も立派であった様に記憶しており、地主が協力的であったのでしょう。確かに戦後の環八工事が始まる迄は、占領軍が命名した環状線にも記載されているとおり石川町交番で中原街道から分かれたこの道が環八の一部を形成しておりましたが、現在は環八との合流点が二股に分かれている脇道です。その辺の経緯を知りたいものですね。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

>それにしても中原街道の平面交差を許可した一方で府道106号には立体交差を要求する辺り、何か或る筋からの圧力による今日の用語で言う行政指導的匂いがします。

推測でしかありませんが、新設される計画道路には立体交叉を要求するが、従前(古来)の道にはそれを要求しないという「理屈」かと解します。無論、計画道路よりも鉄道が先行して許認可を受けていれば「先取特権」でこの限りではありませんが…。

>確かに戦後の環八工事が始まる迄は、占領軍が命名した環状線にも記載されているとおり石川町交番で中原街道から分かれたこの道が環八の一部を形成しておりましたが、

玉川全円耕地整理組合が目指した玉川村幹線道路計画の最中、環状八号が昭和2年に発表されたため、これに玉川村が合わせたという経緯があります。とはいえ、実際に都市計画道路としての工事が始まるまでは、名実共に玉川村(のちの世田谷区)幹線道路だったかと思います。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。

アカウント情報

(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)

2024年1 月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31