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2010/10/04

コメント

池上町誌の写真
 ご説の通り回想史の図面には疑問を持っていました。写真を見る限り3ホームであった痕跡は全くありません。
目論見書の宛先
 逓信大臣の小泉又次郎氏は小泉総理の祖父にああり、入れ墨大臣として有名でした。型破りの好きなところは遺伝でしょうか。
旧環八を横断して国分寺迄延長できないような工事に金をつぎ込むところは理解できません。
次回を楽しみにしています。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

>旧環八を横断して国分寺迄延長できないような工事に金をつぎ込むところは理解できません。

仰せの通り、結果から見ればその通りだと思います。しかし、私が思うのは「既成事実」づくりではなかったかな、と見ています。五反田駅への接続も、当初は省線(現JR)五反田駅に寄り添うような平面的接続だったのに、大崎広小路から白金線と扱いを変え、五反田駅は終点から途中駅へと変更、工法も高架の山手線をさらに乗り越えるよう高架化となりました。ここまで造ったんだから、これを無駄にすることはできないだろう、と。
同じように国分寺線も、せっかく部分開業させたのだから、これを無駄にするのはいかがなものか、と。どちらも同じ「既成事実」づくり(計画倒れでない)と見れば、カネをつぎこむのも将来の布石への投資と見ることができるのでは、と考えますね。

 仰せの通り既成事実を作り上げてごね得を決め込もうとしたのかも知れませんが、名門でも実行力のない人々をバックとした後藤専務の力不足の感は否めず、京成電鉄のようには行かなかったようですね。五反田の高架化が環状六号の立体化に役立ったのも怪我の功名ですか。
 以前に指摘した環八と目蒲、東横との交差点で奥沢側の法面が削られていたのは池上電鉄の田園調布への乗り入れの野望の名残であると聞いておりましたが、これも立体化の線路の移設に役立ったのもまた怪我の功名でしょうか。
 また社長に川崎財閥とは異なる古川コンツェルンの中島久万吉氏を据えたのも虎の威を借る狐同様に許認可に箔をつけるためでしょう。
 次回のトピックス、特に川崎側が東急に株を譲渡した背景などの話題を楽しみにしています。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

>五反田の高架化が環状六号の立体化に役立ったのも怪我の功名ですか。

当初計画の目黒駅(のち五反田駅)~大森駅間の免許は、環状6号線よりも先願だったことから、立体交差要件から外れていたのですが、その後、大崎広小路~白金間(白金線)に置き換えたことから立体交差要件は必須となっています。もとより山手線を高架で乗り越えるには目黒川低地を高架化する必要がありますので、環状6号線立体交差化についてはけがの功名というよりは織り込み済みかと見ています。

>次回のトピックス、特に川崎側が東急に株を譲渡した背景などの話題を楽しみにしています。

だいぶ遅れてしまっていますが、単に資料集めに時間を要しているためです。適当なことを書いてお茶を濁すことは、いつでも、いくらでもできますので、手の届く限定された範囲となりますが、調査時間をもう少しいただくつもりでいます。(けっして忘れたわけではありません。)

3面ホーム4線の図面ですが、最近旧雪谷駅とされる踏み切りから石川台寄りの踏み切り(バス通り)迄の間の敷地が高圧鉄塔を考慮に入れても広いような気がしますので複々線の亘線を作るつもりで用地だけでも手配したのではないでしょうか。無論確証があったわけではありまえん。

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