10日ほど前、「「朝日年鑑 昭和20年版」に見る広告 前編」及び「「朝日年鑑 昭和20年版」に見る広告 後編」の二回にわたって戦時中の広告を眺めてみたが、今回は20世紀初め頃(今から約100年前)にあたる広告を眺めてみよう。題材は「東京案内」(東京市役所/裳書房。明治40年刊)上下巻に掲載されているものである。「東京案内」とは、東京市が編纂したその名の如く東京の見所や歴史・文化などを網羅した書籍で、現代人がこの時代の東京を知るのにはもちろん、発行された当時でも多く参考となったものである。では、早速広告を見てみよう。
まず最初は「花王石鹸」。今も続く花王石鹸だと思うが、三日月の欠け方が左右逆だというよりも、顔がかなりリアルっぽい。しかも口から白い何やらを出していて「花王石鹸」だと主張している(吹き出しではないように見えるが…)。左上が紙のようにめくれているのも…。まぁそんなことよりも顔がリアル化したのが一番の衝撃となるだろうか。
続いては、ダイヤモンド歯磨。今も続いているのかどうかはわからないが、絵的に「裸婦が巨大ダイヤモンドを持つ」姿はインパクトがある。
そして宮田製作所。自転車のミヤタといえば今も続く老舗メーカだが、この時にはいわゆる「ギヤMマーク」が見えていない。というのも「ギヤMマーク」は明治40年に使われ始めた登録商標なので、「東京案内」へ出す広告にはぎりぎり間に合わなかったのである。「内国製自転車」(国産)という主張と、「アサヒ」「フソー」「ホイラー」「ガイセン」といったブランド名に力強さを感じてしまう。
続いては、現在のコニカミノルタに続く小西屋六兵衛店を祖とする小西六右衛門(今で言えば社名)。まだカメラが国産化される前の時代であり、専ら輸入だったことから商社のような会社だったかといえばさにあらず、今日にいうDPEや写真製版材料等の製造・販売も行っていた。広告の写真はやや左に傾いてしまってはいるが、戦時中の広告などよりも、よほどいい広告のように思える。
続いては、世界に名だたる「Toshiba」も100年前は「芝浦製作所」。もっとも「東芝」となるのは「東京電気」と合併して初めて「東芝」となるので、正確に言えば一方だけなのだが、現在の東芝の本社が「東京都港区芝浦一丁目1番1号」である以上、「芝浦製作所」のDNAを色濃く受け継いでいると言っていいだろう。なお、広告にある住所が「東京市芝区金杉新浜町一番地」(常用漢字に変更)とあるが、これは正に現在の本社位置に相当する。
続いては画像をちょっと大きめに、そして圧縮率を多少甘くしてできるかぎりおねえさんを出そうとしたが、これでもまだ厳しいか(苦笑)。二店の割烹であるが、経営者はどちらも同じなのか、一つの広告にまとめられている。和服の料理店という意味の「割烹」であるが、こういった広告を出すということで……。
次回もこの続きとなります(予定)。
XWIN II さん、こんにちは。いつも面白いエントリ楽しみにしています。
地名の歴史は、東京の地理に明るくないので難しくて付いて行けないですが、今回のは面白かったです。昔の地図や新聞って面白いですよね。XWIN II さんほどマニアではないので(^^;それほど眺めたことはないですが...
さて、花王ですが、こんな感じで、初代はもっとスゴい顔だったようです。
http://www.kao.co.jp/soudan/kids/mark/index.html
なんだかどんどん若返っていますね。
ダイヤモンド歯磨きの会社は、既に存在していないようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B0%BE%E8%B3%9B%E5%B9%B3%E5%95%86%E5%BA%97
それでは〜
投稿情報: くらけん | 2009/05/24 15:47
くらけん 様、コメントありがとうございます。
というわけで今朝ほど後編をアップしました。
さて、補足情報に感謝すると共に新たな疑問が生じました。
ご紹介いただいた花王のサイトによれば、花王石鹸の三日月が昭和18年という戦時中に右向きから左向きに変わったのはなぜか? というものです。
うぅむ、週明けから悩みが増えた(苦笑)。
投稿情報: XWIN II | 2009/05/25 07:14