10日ほど前、「「朝日年鑑 昭和20年版」に見る広告 前編」及び「「朝日年鑑 昭和20年版」に見る広告 後編」の二回にわたって戦時中の広告を眺めてみたが、今回は20世紀初め頃(今から約100年前)にあたる広告を眺めてみよう。題材は「東京案内」(東京市役所/裳書房。明治40年刊)上下巻に掲載されているものである。「東京案内」とは、東京市が編纂したその名の如く東京の見所や歴史・文化などを網羅した書籍で、現代人がこの時代の東京を知るのにはもちろん、発行された当時でも多く参考となったものである── という出だしで前回始めたが、今回はその後編となる。
「大日本麦酒株式会社」、現在のサッポロビールとアサヒビールに繋がる会社だが、実はこの広告が出る前年(明治39年)に札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒の三社が合併してシェア7割を誇る大日本麦酒株式会社が誕生したことで、「ヱビス」「サッポロ」「アサヒ」「東京」「ピース」と多くの銘柄が集うことになったのである(麒麟麦酒だけが寡占メーカの中で唯一合併しなかった)。合併時期が明治であったにもかかわらず、戦後の集中排除の対象となって日本麦酒(のちにサッポロビール)と朝日麦酒(のちのアサヒビール)に分割された珍しい例でもある。
続いては中央商会。「最新特許 転回式チャンピオン消化器」ということで、最近ではあまり見られなくなった逆立ちさせて使う消化器についての広告である。「完全無欠の消化器たるの要件」(現代仮名づかい等に改めた)を色々とうたっているが、正直、言うほどのことか?と思ってしまう。もっとも100年前では、十分に画期的なものだったかもしれないが…。
続いては吉澤商店。当時は画期的だったが、現在では見る影もない活動写真器械や幻灯器械等をおそらくは輸入販売していたものと思われる。この時代によく見られる傾向として、男は洋服、女は和服というパターンが多いが、この広告も同様である。
続いては三光堂。これも大声蓄音機など、今ではほとんど見ることができないものだが、注目は語学蓄音機。「至難の外国語を容易に学習せしむ」とあるのは、今も昔も変わらないのだと気付かされるものだろう。東洋一手販売とあるのも、西洋を相手にする前にまずは東洋一、という時代背景があってのものか。
続いては富田洋服店。絵だけ見ると、とても日本向けとは思わないが、まぁそういうことである。弊店特色として、技師は洋行帰りであるとかすべて材料は舶来品と主張するのも今と通ずるものがあるが、これを滑稽と思うことは、つまり未来の人たちも今の私たちを滑稽だと思うことと理解せねばなるまい。
そして東京瓦斯。類型の大阪瓦斯は、戦時中には「ガスも兵器だ!」と声高に主張していたが、この頃はガスのメリットを庶民に啓蒙している最中であることが伺える。今回取り上げないが、「東京案内」の広告中には練炭等を取り扱っている会社もいくつもあることから、おそらくガスの普及はまだまだだったのだろう。東京においてこういう状況にあったということは、他ではまだまだだったに違いない。
以上、前後編で12の広告を取り上げてみた。感じ方は人それぞれだが、約100年前の広告とは思えないものもあったように思う。ましてや戦時中の広告と並べてみれば、どっちの方が文化的に進んだ広告かといえば、おそらく今回取り上げた明治末期のものだと感ずるに違いない。
つまり、文化というものは時代と共に進歩し続けるのではなく、戦争等によって退化することも多いということが、この一件からもわかるのである。古くはローマ帝国(共和政)時代、それよりも前のギリシャの地に、あれほどの文化がありながら、それを超えるどころか長い間停滞していたのはなぜかを歴史から学ぶことによって、今をそして未来を生きる糧としたいものである。
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