今から15年前の今日。私は秋葉原にいた。それも前日の1995年(平成7年)11月22日の夜から。1995年11月23日、勤労感謝の日は長く久しく待たれていたWindows 95日本語版の発売日であり、それも深夜0時からの販売(秋葉原のほか、名古屋の大須、大阪の日本橋でも実施)ということで、前日夜から友人と秋葉原で待機していたのである。
あの頃の秋葉原は現在とは違ってPCの街であり、中でもAT互換機(いわゆるDOS/Vマシン)が隆盛を極めつつあった中、PCの先進的な街であった。いたるところに自作PCショップが乱立し、CD-ROMショップ(Internetが普及していなかったため、海外からのCD-ROMが輸入販売されていた)も多く、秋葉原を毎週のように通っていても、毎日新たな発見があったのもこの頃である。私も、1990年のWindows 3.0登場から公私ともにWindowsにシフト(仕事では1980年代後半からお付き合い)しており、英語版Windowsを日本語化したりなど、WindowsとPCにどっぷりのめり込んでいたので、既に英語版Windows 95は導入済みだったが、日本語版の発売に大きな期待を持っていたのであった。
発売前日の22日夜は仕事をさっさと切り上げ、夜8時には友人と連れだって秋葉原入り。さっそく、炉ばたで軽く呑みながらつまみをいただきつつ、夜11時近くになるまであれこれとPC談義に花を咲かせた。秋葉原の街は夜が早いので、炉ばたも閉店が一般的には早い方だったが、秋葉原基準では遅い方だったため、ここで待機したのである。
普段はひっそりする深夜の秋葉原も、この日ばかりは深夜0時に近づくに連れ多くの人たちが集まってきて、友人と「これは普段の土日よりも人出が多いんじゃね」と話すほど。事実上、中央通りは歩行者天国状態で、NECや富士通、東芝など多くのPCメーカが販促キャンペーンギャル(死語)を投入したことから、お祭り騒ぎは最高潮に達しつつあった。
そして深夜0時。Windows 95日本語版深夜販売開始。この時、私が購入したものはWindows 95のほか、Microsoft Office 95、Microsoft Plus!の三種の神器セット(苦笑)。何と、Windows 95に合わせてOffice 95も同時発売で、しかもそれは32-bit対応を力強く謳っていたのである。Windows 95日本語版ネイティヴ対応のソフトウェアとしては、もちろん最初に登場したもので、ここに至ってオフィススイーツ戦争は実質決着がついた。それまでは、ジャストシステムの一太郎を中心としたパッケージ群、ロータスの1-2-3を中心としたパッケージ群(Ami Proとかありましたな)、ボーランドのQuattroを中心としたパッケージ群など(Quattroは表計算にタブを最初に導入したっけ)、多数のソフトウェアが鎬を削っていたが、Windows 95の大ヒットに合わせる形で便乗したOffice 95が、この戦いを制したとなるだろう。不法販売、OSとの隠れた連携など、色々叩かれるMicrosoft社だが、実際Office 95に搭載されたExcel 95やWord 95を使ってみて、他社製品よりも優れていたのは確かであり、何よりもシステムリソースの制限から大きく解放されたのが大きかった(その後、Windows 9xのシステムリソースは少ないと謂われはしたが、Windows 3.x時代のそれと比べれば大きく改善されていたのだ)。
とはいえ、Windows 25年の歴史を眺めれば、Windows 95の登場は既に中間点よりも前の話。「明治は遠くになりにけり」ではないが、PC界においてはそんな印象を持ってもあながち外れてはいないだろう。
なお、PCとはある意味において対極にある、象牙の塔に類すべき我が国の情報処理学会が刊行した「日本のコンピュータ史」(情報処理学会 歴史特別委員会 編者、発行オーム社)の107ページには、Windows 95日本語版の発売に関して上記のような記述がある。面白いことに、11月23日の深夜販売を12月8日と書いているのである。執筆者はともかく、情報処理学会が編者としてある以上、この勘違いというかPCにとって重要なエポックメイキングの日付を誤ること自体に、PCを軽んじているような印象は拭えない。もっとも、過去2冊(同名の書を1980年代以前に刊行)と比べれば今年10月に発行された本書は、PCに関する内容を増やしているのだが…。
と、横道に逸れかかったので、思い出話に戻ろう。三種の神器セットを今は亡き、LAOX THE COMPUTER館(ザ・コン)で購入してからは、お祭り騒ぎの秋葉原を見て回った。最近の深夜販売は知らないが、巷間によれば、深夜0時で販売が終わるとすぐに購入者は終電に遅れないよう撤収をはかり(そういえば昨年のWindows 7深夜販売でもそうだった)、祭りの余韻というか、そんなものを感ずることはほぼ不可能だが、この日は違って終電がとうの昔に終わった時間帯でも多くの人たちが秋葉原を離れることはなかった。
私は友人と連れだって、多くの著名人(いちいち名を上げればきりがない)と挨拶などを交わし、大いに話が盛り上がった某会場をあとにして、深夜3時頃に現在の東芝秋葉原ビルである東芝のショウルームにお邪魔した。普段は秋葉原時間で閉まってしまうショウルームであったが、この日は深夜~早朝まで開いており、Windows 95日本語版発売に合わせてリリースされた新PCでWindows 95を弄びながら、友人とコーヒーを飲みつつ、「日本のPCの夜明けぜよ~」みたいな感じで盛り上がった。
──と、15年前を思い出しながら徒然と古老気分で語ってみた。一緒にWindows 95深夜販売で盛り上がった友人は、今はない。仕事のできるヤツだったが、精神(心)を患い退社していった。10年ぶりくらいに同じ仕事になるなと楽しみにしていたのだが、1か月ほどの違いで私と入れ替わるように去っていったのだ。そんな郷愁のようなものを感じつつ、今回はここまで。
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