窶れていた。
バッシングに加えて、理研という身内から抛擲されたとしか思えない仕打ちを受け、それをおそらく独りで頑張っていたなら窶れてしまうのも当然だとなるが、女の涙の演出も含め、ほとんど意味のない昨日(9日)の小保方晴子さん(と弁護士)の会見だった。
世間の関心は高く、様々な方々のコメントなどが出ているが、興味深いのは女性と男性の受け取り方の差である。中でも「女の涙」に対する受け取り方は、特に女性にとっては生理的に気に入らない方が多かったようで、何ら心を動かされなかった等、議論の本質を見失うようなコメントも多いように感じた。
私が気になった点は一つ。それはSTAP細胞の実験に関して「事実」という言葉でなく「真実」という言葉を使った点である。心情としては、信用されていない中でこの言葉が口に出たのだろうが、科学を語る中で「真実」という言葉を使った時点で科学ではなくなる。つまり、客観ではなく主観だということである。
同じようなものに「悪意」というものがある。小保方さんは「悪意」はない、としているが、これは彼女にとって「真実」なのだろう。民事訴訟等には当たり前のように「悪意」という言葉は出てくるが、科学の世界には馴染まない。「悪意」とは主観(どちらか一方の立場)であって客観ではないのだから、「悪意」の基準なるものがあって初めて客観視される。単に言葉の上での「悪意」は主観でしかなく、大抵の場合、水掛け論にしかならない。言うまでもなく、水掛け論は不毛で無意味である。
「捏造」や「改竄」ということもさることながら、要は「不正」の有無が重要であるだろう。この点に関しては小保方さんも認めているように、「悪意」はないが「不正」の事実(真実ではない)を認めて謝罪している(本人は「不正」と思っていないだろうが、科学の世界では「不正」でしかない)。結果として「不正」となったのは、自身の「理解(勉強)不足」だと言うわけだ。
興味深い発言(200回以上だの2冊でないだの…)はあったが、あれはすべて小保方さんの「真実」であり、「事実」と認定できるかはこれからだ。このようなレベルの人に「説明責任」をというのが、却って「無責任」でしかないので、理研がこれまで本人に説明させてこなかったのはよくわかった。相手にするレベルでないからだ。
とはいえ、処分をするのであれば、それ相応のお相手をして差し上げなければ、たとえお嬢様と雖も無理があろう。頑張って理研にはご対応願うことと、肝心のSTAP細胞の有無については検証していただきたい。お疲れさん!としつつ、今回はここまで。
「STAP細胞のごたごたから想うこと…」(2014/3/14)
「事実なら… ど素人だった小保方晴子さん」(2014/3/15)
「理研 VS 小保方晴子さん──どっちもどっちか」(2014/4/2)
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