今回は、中国の古典で使われている漢字(単語)の頻出度から、その文献の性格や時代背景、作者の想いのようなものを私なりに勝手解釈しようという漢字、いや感じで進めていく。今回、参考にしたのは「中國哲學書電子化計劃」と「Wordle」の両サイト。では、早速始めていこう。
まず、何と言っても有名な「論語」。最も多い単語は「君子」である。「學而」編の最初に「學而時習之 不亦說乎 有朋自遠方來 不亦樂乎 人不知而不慍 不亦君子乎」とあるように、君子たるものは云々とする箇所が多いことによる。また、孔子をはじめとしてその弟子の名前も目立つ。「顔淵」「子夏」「子貢」「子路」などなど。また、「仁」についても頻出だろうと思っていたが、やはり予想どおりだとなる。
続いては、司馬遷のまとめた「史記」。中国史上最初の歴史書であると同時に、今以て最高のものだといって過言ではないだろう。「史記」には古代神話の時代から司馬遷の生きた漢の時代まで、本紀・世家・列伝と王家や諸侯の歴史から、著名な個人の歴史まで紀伝体で描かれている。ここで最も多いのは「秦」。秦そのものが主役となっている「秦本紀」、「秦始皇本紀」を始め、各諸侯国の世家にも頻出し、個人の列伝においても秦は重要な位置を占めているので、堂々の1位だというのも自明だといえる。
続く「王」については、周が王号を持った以外に戦国時代に入って秦・魏・趙・韓・斉・燕・楚などが王号を称することや、漢の時代になって郡国制が採用されて以降、各地域に王が配置されたこともあって、必然的に多くなる。また、「為」(為す)は「○○、△△と為す」という表記が多いからである。
国(諸侯)名が多いのも「史記」の特徴だが、個人名は思ったよりも少ない。「太史公」(司馬遷)が入るのは、各紀伝の最後に「太史公曰」と司馬遷自身の評が入るので多いのは当然だが、これよりも多いのが「項羽」。ライバルであり漢王朝の始祖である劉邦(ここでは「沛公」として登場)も見えるが、「項羽」の方が多いのは、司馬遷にとって思い入れが強い人物だったのかと思わせる。
続いては、私の愛読書でもある「春秋左氏伝」(通称左氏伝、左伝)である。左伝は年代記に物語を織り込ませた独特の記法で描かれていて、通読には不向きだが、それを乗り越えてしまえば大変面白い作品である。一番多いのは「晋」(晉)。左伝の設立経緯をご存じないと、晋が一番多いというのはなぜ、という以上に晋って何?といったところだろう。異論はあるだろうが、左伝の主役は晋と言って過言ではない。タテマエ上は、魯の年代記を孔子の筆削を経たものに、同時代の出来事(説話など)をおりこんだものとされているが、主役は魯ではなく春秋時代の大国(正確には国ではない)であった晋の動静が多い。これは、左氏伝の設立経緯によるのだろうが、説は数多ありどれも有力とは言えないものの、大国である晋が春秋時代において、
- 本家(翼)と分家(曲沃)の争いの末、分家が勝つ。
- 驪姫の乱に始まる公子同士の争い(最終的に重耳が勝つ)。
- 晋楚の覇者を巡る争い。
- 公家と六卿(范・知・中行・趙・韓・魏)、六卿同士の争い。
という一連の流れが、魯よりも多く紙幅を占める…もとい竹幅を占めていたからである。この晋に関する説話は、まさに下克上といっていい展開で、そもそも周という天子(王)をいただく国の諸侯の一つが晋であり、その晋のトップであった(はずの)晋侯が分家に滅ぼされ、取って代わられる。その取って代わった晋公(分家が乗っ取ったことを周王に認めさせた際、侯から公への昇格も認めさせた)によって周の政治が牛耳られている過程で、内部では公子同士の跡目争いとその結果として晋外に長年あった公子重耳が勝ち残ったことで、国内の有力基盤を持たない文公(重耳)としては、長年放浪に付き従った者たちを重用する。これが六卿の──というよりは後に三晋と呼ばれるうちの趙、魏の先祖であり、時代が下るに連れ、権力は晋公から六卿に移り、さらに六卿内での争いとなっていく。これが左伝の大きなものの一つというわけである。
と、思わず横道に逸れそうになったので戻すと、そういうわけで「晋」が最も多い。次いで多いのは「公子」。公子とは、諸侯の子を指し、「公子○」という形での表記が至るところに見えるので、これは当然といった印象。続く、「鄭」は諸侯国の一つ、鄭のことで魯、晋等と国境を接していたことで頻出することに加え、晋楚の争いの間に位置していたことも大きい。さらに、著名な子産が多く登場することも影響しているだろう。ほかに諸侯国では、楚、衛、斉、宋あたりが目立ったところか。
また、時代を反映しているのは「盟」。諸侯国の間で盟を結ぶ(同盟を締結するというよりも、強い者に弱い者が従うというような意味合いが濃い)話は多く、戦いで解決するのではなく、それ以前の盟によって解決していこうという時代背景が読み取れる。春秋時代の後に続く戦国時代では、皆が王を称し、合従連衡が繰り返され、敵の敵は味方、大きくなった相手は脅威となるので皆でつぶす等と盟どころではなくなるので、この時代を写し取ったものだと言える。
と、これ以上左伝について語り始めるときりがないので次に進めよう。
続いては「国語」。もちろん、数学や英語などと並ぶ教科名ではない。左伝と対を為す文献ともいわれるが、これも成立経緯については定かでない。国語というのは、各国の説話等を集めたものを国毎に「晋語」「鄭語」などと称していることから命名されたもので、成立当時からの名ではない。時代は、左伝と同様に春秋時代のもので、ここでも晋語が最も多いことから「晋」が多くはなっている。だが、左伝と違って一番多いわけではなく、最も多いのは「君」である。表記上は諸侯(公)を指し、「其君~」というものが多いことによる。この表記はあまり左伝には見られないので、成立は左伝よりも古いとされている特徴的なものといえるだろう。同じように「吾」や「民」も同様となる。
国語で目立つのは、諸侯国名よりも個人名が目立つ。中でも「驪姫の乱」に関連した晋語が多くを占めているため、これにかかわる「驪姫」「申生」「里克」が多くなるのは必然と言っていい。同じように個人名が目立つのは、歴史記述というより物語という側面が大きいというのもあるだろう。
といったところで、今回はここまで。
国語の中の左の中程の及の右隣の首部が虎の文字は浅学ながら読めません。種族の名前でしょうかご教示下さい。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/10/29 08:21
「虢」は「かく」と読みます。「唇亡びて歯寒し」(脣亡歯寒)の格言の由来となった話に出てくる小国の名です。
投稿情報: XWIN II | 2013/10/30 19:00
有り難う御座います。唇歯の関係の由来が分かりましたが、私のソフトにはこの漢字がありませんが、古典ですので康熙字典には当然記載されているのでしょう。読みは首部ではなく偏を基としているのでしょうか。虎は「こ」ですのでこれを探してみましたが見つかりませんでした。参考迄にJISコードに掲載されてるのでしょうかご教示下さい。何度も面倒なお願いを致して申し訳ありません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/10/30 19:23
虢は、JIS第三水準にあるのでJISやシフトJISにはありません。Unicodeにてお探し下さい。
投稿情報: XWIN II | 2013/11/06 07:23
XWIN II 様
情報有り難う御座います。余談ですが、広西省などの姓で、変わった漢字のものがあり、仮名で補記してある場合がありますね。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2013/11/06 23:34